第一章 第十三幕―違和感―
山篭りが終わってから数日、風雅達壱年の授業に幻術の授業が追加された。壱年壱組の生徒達は修練場に集まって体育座りをしている。
自身の大きなお腹を軽快に一度叩くと、潔は口を開いた。
「ふぉっふぉっ。座学の授業で幻術についても軽く触れて頂いていましたが、本日から本格的に実技形式で学んで貰うこととなりました。
そもそも幻術とは相手を惑わす方法。私の授業では主にそういった心理戦や、幻術に陥れるのに有力とされる道具の使用方法を皆さんに教えていきます。どういった行動を取れば相手の不意をついてより優位に立てるのか、それを考えていきましょう。肩の力を抜いて、一つ一つ覚えていきましょうね。では早速二人一組になって下さい」
潔が優しい口調でそう説明すると、生徒達はそれに従った。
六兵衛が居ないためどうしようかと悩んでいる風雅の肩を千歳が叩いた。
「なあ風雅。相手が居ないなら俺と一緒に組まない?」
相変わらずこぼれるような笑みを浮かべて、千歳は紫紺の瞳を細めた。
何か小骨が引っかかる様な感覚を頭の隅においやって、風雅は口を開く。
「ああ、千歳。俺はいいけど、紅ヱ門は良いの?こういう時はいつも一緒だっただろ?」
「紅ヱ門?…ああ、気にしなくていいよ。嘉一と組むように言ったから」
千歳がそう言いながら風雅の後ろを指差した。そこには紅白の髪を二つの大きな鈴で括っている紅ヱ門が談笑している姿があった。
普段は千歳の後ろで怯えて顔を隠していた少年が、あの山篭りの日から何故か装いを一新した。
紅色の瞳が顕になり、そして目元に紅を引いて、誰とも臆せずに話をできている。
きっと自信が持てるようになったのだろうと誰もが推測し、今ではその説がすっかり定着していた。
何か心境の変化でもあったのだろうか。と十人中十人が疑問を持たずにはいられない程明るくなった少年。
その装いに驚愕が隠せない学院の人達の中で、最初からそれを当然のように受け入れていたのは千歳だけだった。
「ずっと気になってたんだけど、あれどうしたの?」
「さあ?何か思うことでもあったんじゃない?」
また、風雅の喉に小骨が引っかかった。
「…あのさ、こういうこと聞くのもどうかなって思うけど、紅ヱ門と喧嘩でもした?」
「やだな、してないよ。紅ヱ門が自立できるようになったんだからいい傾向だろ?それよりほら、もう皆二人一組になれたみたいだよ」
千歳の言葉で風雅は周囲を見渡す。確かに余りなく全員が組になれた様子だった。それを見て潔が指示を出し始める。
今まで座学で学んだ内容が身に付いているか、互いに問題を出し合い正解数を潔に提示する、といった比較的簡単な課題だった。
「幻術ってさ、可能性の塊だと思うんだよね。使い方次第でいろんなことが出来る。そう思うだろう?」
「…千歳、君は」
「よっ…と!って、あれ?風雅じゃん!」
問題を数問投げかけあった後、風雅が千歳に質問しようとした所で、風雅達の脇にある塀の向こうから清兵衛と直人が飛んできた。
「…授業の最中か。邪魔をした」
「いえ、大丈夫ですよ。あれ?先輩方も今は授業の時間ですよね。どうしてこんな所に?」
「今日は課題制の授業だったから、さっさと終わらせて直人と露先輩を探しに来たんだよねー。実はこの間の山篭りから露先輩を見てなくてさ、心配になっちゃって」
「記名札も看板にかかって無い。外出してる訳では無いというのも気がかり」
不安そうに眉を下げる二人の話に、風雅は顎に手を置いて記憶を辿る。だが風雅も二人と同じように露の姿を見たのは山篭り以降無かったことに気がついた。
「すみません、俺もこの間の山篭り以降見ていないです」
「そっか…学院に居ることは確かだし、何も問題無いとは思うけど…露先輩参年だし、心配だな」
「…?参年生だと何かあるんですか?」
「ああ。そういえば知らないのか。この学院の生徒は大なり小なり参年になると凶事があると言われてるんだ。まあ、ただの面倒な口伝だが」
「たまたま悪い出来事が起こる時期が重なっただけで、それを不安視した誰かの妄想が全体の思想に染み付いただけだとは思うけどねー。あ、ごめんね。授業中なのに時間取らせちゃって、もしどこかで露先輩見かけたら教えてよ」
清兵衛と直人が手を振りながらその場から立ち去った。ふと、風雅が横を見る。いつの間にか清兵衛達が来るまで一緒に話をしていたはずの千歳が居なくなっていた。
(あれ?どこに行ったんだろ。聞きたいことがあったんだけどな)
風雅は千歳の姿を探して周囲を見渡した。その時チリン、と鈴の音が聴こえて風雅は音の方に目線を向けた。
「風雅ー」
「あれ、紅ヱ門。どうしたの?」
「ちぃちゃ…千歳が嘉一とも話がしたいから交換してくれって。ぼ…俺と一緒でも問題ない?」
「はは、だいぶ無理してるね。もちろん、問題ないよ。でも紅ヱ門の方が千歳と一緒の方が良かったんじゃない?」
「平気平気!それに、いつまでも千歳におんぶにだっこじゃ格好つかないじゃん」
「そう?それなら良いけど。寂しくなったらいつでも声かけてね。千歳の代わりにはならないかもだけど、話を聞く事くらいならできるから」
そう言って風雅が紅ヱ門の頭を撫でる。自立したいといった子の頭を普段の条件反射で撫でてしまったことに気がついて、風雅はすぐに手を引っ込めて謝った。
ずっと目線を泳がせていた紅ヱ門が風雅の行為に驚いて、撫でられた頭を触って目を見開く。
そして何故か泣きそうな顔をして、風雅の服の裾を掴むと風雅を見つめた。
「…風雅、あの、あのさ。ぼ、僕、どうしたら…」
そこまで言って、急に紅ヱ門は口を噤んだ。そしてまた目を泳がせて笑顔を見繕うと、手を離した。
「ごめん、やっぱりなんでもないんだ。心配させてごめんな。ほら、そんな事より早く課題やっちゃおうぜ!潔先生待たせても悪いじゃん」
「…そうだね」
風雅も紅ヱ門に微笑み返す。そうすると二人はまた課題をこなす為に問答を始めた。
その途中、風雅が振り返り視線を後ろに向ける。そこには千歳と嘉一が一緒に課題をこなしている姿があった。
放課後、風雅は補佐組の部屋の戸を開いた。中を見回すと普段居るはずの凪斗は居らず、弘栄が縫い物をしていた。
「どうも弘栄先輩。えっと、凪斗先輩いらっしゃらないんですか?」
「お、お疲れ様、風雅君。な、凪斗君は学院長に山篭りのほ、報酬を用意して貰うって」
「あれ、まだ頂いていなかったんですね。随分期間が空いているので、既に頂いたものだと思ってました」
「よ、用意に時間がかかるものだったらしいよ。く、詳しくは僕も分からないけど」
「へえ、弘栄先輩にも内容を言ってないなんて、よほど大切な物をお願いしたんですね」
「ふふ、な、凪斗君は結構そういうの教えてくれるもんね。き、聞いても答えてくれないなんて珍しいくらいだよ」
(でも困ったな。相談したいことがあったんだけど)
風雅が顎に手を置き考え込んでいると、突然外から怒声が鳴り響いた。
「…それが露ぢゃんの意思だっつってっぺ!凪斗君の分がらず屋!」
「うるせえ!俺様は認めねえぞ!何が迷惑かけたくないだ?そんな単純な話じゃねえだろうが!」
風雅と弘栄が慌てて部屋の外に出ると、そこには今にも取っ組み合いになりそうな壱陽と凪斗の姿があった。
「ちょっ、先輩方一体どうしたんですか!?落ち着いて下さい!」
「最期のお願いぐれえ、叶えでやりだいで思うのが親友だべ。おらには最期を看取る時間すらねぇんだ…」
(最期…?看取る?何の話だ?)
「だったら、尚更看取れる奴らには伝えるべきだろうが!ひっそり逝きたいだとか最後の最後まで馬鹿なこと言いやがって!」
「な、凪斗君落ち着いて!」
弘栄に羽交い締めにされて、やっと落ち着きを取り戻した凪斗は一度呼吸を整えて俯いた。
「露が山篭りの日にぶっ倒れた。それから学先生が付きっきりで看病してくれてたんだが、ついさっき余命宣告があった。学院に来る前から持病があったらしい、それが今になって悪化して…次の春まで持たねえそうだ」
「う、嘘…」
弘栄が目を見開いて壱陽を見つめる。しかし期待していた言葉は帰って来ず、目を伏せて壱陽は首を横に振った。
「嘘なもんか。誰にも伝えねぇように言われでだげんとも、もう布団がら出られねぇ状態になっちまってる。運命って皮肉なもんだべな。おらは秋にはこの学院を出でいがねっかなんね。…露ぢゃんの最期さ立ぢ会えねぇ」
「そんな…どうにかならないんですか?」
「わがねだ。そもそもそう簡単さ来れる距離でねぇし。言い方が悪いがもだげんとも、家を継ぐごどになるおらがいづ亡ぐなるが分がらねぇ相手のだめに、いづまでも家を空げる訳にはいがねぇんだ」
頭では理解出来ても感情が追いつかない様子の壱陽が、眉間に皺を寄せながら拳を握る。
目尻に涙を溜めた状態の弘栄が袖で目元を擦った。
「ぼ、僕も露君に会いに行ってくる!」
走り出そうとした弘栄の腕を凪斗が掴んで制止した。
「露本人の意思で今は面会謝絶だ。諦めろ。俺様と壱陽が身の回りの事をする話になってる。その間になんとか説得してやらねえと、アイツを尊敬してる奴らがどうなるか分からねえ。弘栄も風雅もそれまで待ってくれ」
「…そ、そんな…う、うん。分かった…」
風雅は凪斗達の顔を見渡す。誰もが目を伏せてどうしようも無い現状に憂いているのが見て取れた。
(…今は凪斗先輩を信じよう。凪斗先輩ならきっと何とかできるはずだ。せめて直人先輩や清兵衛先輩、それに一華先輩も。最期くらいは話をしてもらいたい。…そう思うのは俺が一度死んでいるから故のエゴだろうか。俺の最期は兄さんに首を絞められて、それから…あれ?でも俺が死んだ時ってもっと背が大きかったよな)
風雅の思考の中に前世の兄の姿が浮かぶ。記憶の中の兄はテーブルに座り、スーツを着て新聞を読んでいた。
風雅が以前見た記憶の中で、男は高校生らしき制服姿で風雅の首を絞めていた。
(そうか、あの葬式のもっと後で死んだんだ。なら、俺は何が原因で…?)
風雅の疑問は深まるばかりで、肌を刺すような暑さがどうしても思考の邪魔をしていた。
周囲が様々な要因で忙しなくなる中、壱陽の去る秋がやってくるのだった。
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