第一章 第十七幕―気晴らし―

桜の木に蕾がつき始めた頃、六兵衛に早朝に叩き起されて、風雅は修練場にある小屋に連れてこられた。その中では保彦が模擬戦用の長槍を振り、奏兵衛と弐陽が模擬刀を手に素振りをしていた。二人に気がついた奏兵衛が、汗を布で拭って声をかける。


「…あら?風雅じゃない。もう秘密の特訓はいいの?六兵衛」

「うん。あのね。風雅が落ち込んでるから元気だして欲しくて連れて来たの」

「ふぁ。だからってこんな朝早くに叩き起こさなくても…」

「む、それは風雅がいじいじして夜寝れてないからでしょう?何しててもため息吐いてたり、上の空だったりが前より酷いもの。…結構時間も経ったんだからそろそろ普通に生活してあげないと、先輩も安心してお空に行けないよ。他のことに目を向けるのも大事だよ?僕とか、それと僕とか。頑張った成果、風雅に褒めて欲しいもの」


両手を腰に当てて、六兵衛は鼻を鳴らした。その頭を慣れた手つきで風雅は撫でる。


「はいはい。…心配かけてごめんね。分かったよ。六兵衛の言葉に甘えて今日は見学させて貰っていいかな?」

「だそうですわよ、保彦先輩」

「ん?誰か忘れたけど、僕は別に構わないよ。組手の相手は誰がやる?」


保彦の問いに、遠くでまだ素振りを続けていた弐陽が素振りを辞めて風雅達に近づいてきた。


「ふん、なら私が相手をしてやろう。丁度やりたい戦法があったんだ。得物の長さが利点でないことを凡愚相手に知らしめてやろうじゃないか」

「今日は風雅がいるんだもの。僕が負ける訳ないもん。べーっだ!」

「ほう、大した威勢じゃないか。良いだろう。なら、せいぜい私に膝を着かせて見せろよ凡愚!」


弐陽は六兵衛の挑発に青筋を立てる。二人は部屋の真ん中で向かい合い、二人の打ち合いの審判として保彦が開始の合図を打った。二人はその合図を皮切りに激しい打ち合いを始める。

風雅はその様子を部屋の壁に寄りかかりながら座り込むと、その隣に奏兵衛が腰を下ろした。


「…あの子結構頑張ってたわよ。誰よりも強くなって風雅を守るんだーって。毎日毎日朝から晩までああやって訓練してたわ」

「…そっか。なんだか申し訳ないな。俺にそんな価値は無いんだから、どうせなら自分のために必死になってくれればいいのに」


風雅の言葉に奏兵衛は不快そうに眉を顰める。


「前々から思ってたけどあたし、あんたのその考え方嫌いよ。素直に嬉しいって言ってあげなさいな。じゃないと六兵衛が可哀想だわ」

「はは。仕方がないだろう?だって俺は化け物だ。六兵衛には俺のことなんか忘れて幸せになって欲しいんだよ」

「…露先輩の最期を看取ったっていうのに何も学んでないのね。馬鹿みたい」

「…やっぱりそう思う?」

(他人は駄目で自分は良いだなんて、勝手だよな…。でも、俺はどう足掻いても不幸を運ぶ化け物だ。壱陽先輩も止められずに、露先輩が死んで、一華先輩達を誰も救えないままの、何も出来ない無様で無力な化け物だ)


風雅が困った様な笑顔で奏兵衛を見る。その様子に嫌悪感をさらに強めて、奏兵衛が風雅の鼻に向けて指を突き立てる。


「自分を忘れて欲しいだなんて言う割に人の心にずかずか土足で入り込んで、出て行く時になって自分の付けた足跡のことは忘れろだなんて、とんだ糞野郎よ吐き気がするわ」

「うん。そうだね。だから奏兵衛ちゃんが六兵衛と友達になってくれて嬉しいよ。ありがとう」

「…馬鹿ね。あたしじゃあんたの代わりにならないから言ってるのよ」


その時、丁度六兵衛と弐陽の模擬戦に決着が着いたようで、保彦の制止の声が小屋の中に響く。

結果は得物の軽さを利用した攻撃回数の多さと、動きの俊敏さで僅かに優位をとった弐陽の勝利だった。


「はぁ、はぁ…ふぅ。…六兵衛が得物の大きさに翻弄されることが無くなったからか、少し危なかったな。だが、今回も私の勝ちだ」

「はぁ…む。悔しい…あの時右に避けないで受け流せば良かった」

「うーん。六兵衛?だっけ。鍬みたいな大振りの武器はどうしても隙が大きいし、弐陽みたいな相手には長期決戦に持っていく方が良いよ。焦り癖があるみたいだから、相手の体力が落ちてきた所を見計らってしっかり最大威力の攻撃を入れるんだ。それこそ間合いの長さを活かしてね。距離を取ればそれだけ相手の動きを観察できる範囲が増える。そうだろう?」


保彦の言葉に六兵衛はしっかり耳を傾け、真剣に頷く。


「へえ。六兵衛が俺以外の話をしっかり聞くなんて珍しい。保彦先輩って意外と教え上手だったりするの?」

「ええ。あの人記憶力関係以外は飛び抜けて成績がいいわよ。それに、保彦先輩と六兵衛は武器の系統も似てるから説得力があるんだと思うわ」

「あの虫取り網?」

「…そんな名前なのかは知らないけど。まあ、とにかく両方とも重心が片側に偏ってる武器ね。特に保彦先輩の武器は凪斗先輩に改造されてるから、見た目に反して威力が高いの。多分あれに当たったら頭が砕けるわね」

(虫取り網なのに…!?本人は小ぶりだけど、そんな扱いの難しそうな武器を主流で扱ってるってことは、意外と肉体派なんだな…)

「あ、そういえばそろそろ狼の紗依のご飯の時間だ。僕はもう行くね」

「む。保彦先輩、いつまで経っても僕達のこと覚えてくれないのに動物の名前と餌やりの時間は覚えてるとかどういうことなの…?」


六兵衛の言葉に普段あまり動かない保彦の眉が悲しそうに垂れた。


「ううん。多分…覚えてないよ。あ、えっとそこの瑠璃色の髪の子」


保彦の言葉に疑問を覚えつつも風雅は立ち上がり、保彦に近寄った。


「はい。何でしょうか」

「僕もよく覚えてないんだけど、虫取り網に紙がついてたんだ。凪斗からみたい。君宛てみたいだから、これあげるね」


風雅がそう言われて紙を受け取る。

紙には『風雅へ。暫く忙しくなるから保彦に手紙を渡した。お前が露の看病してる間、組合の活動の殆どを保彦と弘栄が回してくれていたのでしっかり補佐組として感謝を伝えておくこと。

保彦へ。この紙を瑠璃色の髪で、髪を横に縛ってる奴に渡すこと』と書かれている。


「なるほど。ありがとうございます保彦先輩。補佐組の活動のお手伝いもして頂いたみたいで、お手数をおかけしました」

「別にいいよ。覚えてないから。君も露の看病してくれてたの?ありがとう。どうせまた風邪でも引いたんでしょう?季節の変わり目はいつもそうなんだ。人一倍体が弱い癖に遊びたがりだから」

「え?えっと…」


風雅の返事を待たずに、微笑みながら保彦は足早にその場を立ち去った。沈黙がその場の空気を重くする。風雅の袖を六兵衛が引いた。


「風雅、僕達もご飯食べよう。僕、チーズハンバーグが食べたいな!」

「…そうだね。あ、でも玉葱は買わないとね。うーん、食事処を開いてから思ったことだけど、山ほど使ってるはずなのに食材が全然減らないというか…。毎日あの量の食材を学院はどこから入手してるんだろう。冷蔵庫が無いから保存は効かないはずだし、物流がおかしいというか」

「…?変な風雅。食材は毎日商船で海から運ばれて、町行きとか城行きとかに分配されて、それぞれ専属の馬借が各地に運んでるんだって教えられたじゃない」


当然のことのように言う六兵衛に、頭を抱えて風雅は唸る。


(その分配って言うのが引っかかるんだよな…戦国時代じゃなくても、どう考えたって利益を独占しようとする地域とか出てくると思うんだけど、そういう話全然聞かないし…。この学院が外から隔離されてるからなのか、大きい戦があるとかいう話も耳に入ってこないし)


そこまで考えて、風雅は首を横に振って乾いた笑いを浮かべる。長い時間考えていても埒が明かないと悟った結果だった。


「…はは。そうだったね…うん。絶対おかしいんだけどな」

「…おかしいと思うの?」


その声に風雅は後ろを振り返る。そこには目を見開いて風雅を見ている奏兵衛が立っていた。


「奏兵衛ちゃん?」

「…何でもないわ。悪いわね。あたしも他に用があるから先に出るわね」


動揺した様子を隠さずに、奏兵衛はそそくさとその場を後にする。取り残された三人はキョトンとしてその後ろ姿を見ていた。


「なんだ?おかしな凡愚め」

「奏兵衛ちゃんはいつも変だよ」

「貴様も大概だろう。風雅、私は先に教室に行っている。何を疑問に思っているのかは知らんが、考え過ぎで足元をすくわれないようにな」


弐陽もそう言うと、凛とした佇まいでその場を後にする。


(疑問に思っていることか…確かに沢山あるな。この世界のこともそうだけど、山篭りの時の凪斗先輩の願い事や、保彦先輩の障害のこと。千歳と紅ヱ門も最近変だし、それに今の奏兵衛ちゃんもなんだかおかしかった。それに俺自身の前世の記憶もまだまだ混濁してる)

「風雅?」

「ああ、ごめん。六兵衛。ぼーっとしてたよ。俺達も行こうか。それと、俺のこと心配してくれてありがとう。露先輩に笑われないよう、俺も先輩方みたいにちゃんと前を向かないとね」


心配そうに風雅の顔を覗き込んでいた六兵衛と、手を繋いで長屋へ戻る。道端の桜がやけに綺麗で、まるで春の訪れを喜んでいたようだった。


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