当主になった日〜桜〜
桜の季節にも雀の季節にも程遠い季節ね。母さん。
満月が紅葉を照らしている中庭を眺めながら私は縁側に座っている。先程の母さんの遺言が何度も頭の中を反響して、惨めな思いで胸がいっぱいになって憂鬱になる。
「月の陰…か」
あの人は母親の影を追いかけ続けていた人だったらしい。母さんの顔に布を被せながらそう言った玄鳥さんの言葉に、私はなんて不器用な人だと思ったものだ。
自分らしい生き方が分からない、迷ってばかりいる印象が強い女性だった。それでも私の母だった。
「最後まで謝ってばかりの人」
朱点を殺せなくてごめんと、虹美に母と会わせられなくてごめんと、迷惑ばかりかけてごめんと。貴方は焦ってばかりで、持ちきれない荷物を一人で抱えて走る人でしたね。自己犠牲で家族を守ろうとする強い人でした。その荷物をほんの少しだけ分けて欲しかったなんて我儘は、きっと貴方を傷つける唯一の言葉でした。
「ごめんなさい私、貴方の後は追えません」
貴方ほど私は私を捨てられない。貴方の責任という名の重しは私には背負いきれない。思念だけで走り続ける貴方の強さは、実はほんの少しだけ恐ろしかった。貴方と違って私は傷付く事は嫌いで怖くて耐えられなくて、ですから少しばかり、ゆっくりと生きてみようかと思うのです。
「私は必ず次の冬まで生き残り、その時朱点を殺します。ですから、どうかそれまでは」
お祖母様と一緒に、私と家族を見守っていて下さい。
「何一人でしんみりしてんのよ」
聞き覚えのある声が背後から聞こえて、私は振り返る前に背中を思いっきり叩かれた。
「きゃっ!いたた…虹美と鴻…どうしたの?」
「いつまで経っても中庭から帰って来ない当主様を迎えに来たんだ。ほら、冷えるぞ」
鴻に羽織をかけられて、ありがとうと声をかける。隣を見ればいつの間にか虹美が胡座をかいて座っていた。
「あんたがしおらしくしてんの、あたし好きじゃない」
「…母親が死んだんだ、そう言ってやるな」
「いいわよ鴻、虹美はこう減らず口でなきゃ逆に不安になるわ。それに、丁度私も悲しむのは終わりにしようと思ってたのよ」
私は庭の池に映った満月を見つめる。あれが母さんの生き様。それを見つめるのが私の生き様。
「…虹美、鴻」
「何よ」
「どうした?」
「私と一緒に、死んでくれる?」
私は地を這い蹲ってでも生きもがいてみせるけど、もしかしたら貴方達は来年の冬まで生きられないかも知れないから。なんて、そんな縁起でもない言葉は飲み込んだ。不貞腐れた顔をした虹美が頭をかいて、渋々と口を開く。
「…いいよ。ただし、悪いけどあたしは我儘だから。何か気に入らないことがあったら直ぐに家出の準備をしてやるんだから」
「うん。約束するわ」
私は狼狽えている鴻の目をじっと見る。一瞬たじろいだ様子を見せたが、彼は意を決すると私を見つめ返し、柔らかく微笑んだ。
「俺も約束しよう。一緒に、とまではいかないかもしれないが…桜に俺の命を預ける」
「ありがとう。…では、私はそれに応える生き方をしましょう」
今の私達では朱点を倒せない。それを認めた上で戦力を整えて、あれを殺して全てを終わらせましょう。そして未来を、私達ではなく子ども達に渡しましょう。
「…でも玄鳥さんに未来を送れないのは申し訳ないわね」
「大丈夫だろ。あの人、あんたには甘いからな」
「ふふ、昔から仲良しさんだもの」
「桜も父さんは二人とも真面目だからな。それに父さんが虹美に対して厳しいのは素行の悪さが目立つからだろ」
「なにおう!」
鴻のお腹めがけて頭突きをする虹美の姿に私はくすくす笑う。私にとっては貴方達二人がお月様ね。眩しくて優しくて、いつだって私の道標。願わくばまた、来年のこの景色を三人で見ましょう。
今度は私達の子ども達と一緒に。
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