序章ㅤ第一幕―初めまして、化け物です―


幸せな夢を見ていた気分でした。
たとえどうあがこうが最期は必ず不幸になると分かっていても、俺にとって皆と過ごしたあの日々はあまりにも幸せだったのです。
乾いた風と夕焼けに染まった空の下、七つ子の歌が流れる無骨な灰色の景色の中。後ろで腕を伸ばす、泣きっ面の二人の腕を取らずに俺の身体が鈍色の地面に叩きつけられた後。
巡り合った貴方達が嘘吐きな化け物の俺と同じ食卓に着いて、俺の作ったご飯を美味しいと笑ってくれて。俺と一緒にご飯を食べることを許してくれた。そんな貴方達の存在が俺にとって宝物で、何よりも大切な太陽だったのです。




少年の瞼がゆっくりと開かれた。
瑠璃色の髪と目をした、どこか虚ろな表情の少年が気怠そうに体を起こす。
そこは少年の存在さえなければ、世界から色が失われてしまったのかと勘違いするほど、壁も床も真っ白な装飾の無い一つの部屋の中だった。
机も椅子も必要な家具など無いのにもかかわらず、ポツンと一冊の本が入った白い棚だけが不気味に存在している場所。少年は軋む体と、叩きつけられたように痛む頭を抱えながら、探索をしようと立ち上がる。
おぼつかない足取りで歩く彼は、何もない空間に突然頭をぶつけた。影すら落ちていないどこまでも白い空間なのだから、壁があるとは思わなかったのだろう。少年は今自分がいる場所がどこかの一室であるということを、白い壁を叩いて確かめていた。
そしてそのまま白い壁に手をつきながら本棚にたどり着いた彼は、それを調べるほかに何も情報は得られなそうだと思い。その中にあるたった一冊の本に手をかけた。


「………マリー?」


きっと幼い子どもが描いたのだろう。歪で大きさも不揃いな文字で、”マリー”とだけクレヨンで名前が書かれている。彼は恐る恐る非常にゆっくりした動きで、その簡素な作りの本を開く。


「白紙だ」


何枚も何枚も勢いに任せながらページを捲っていくが、そこにはただ白いだけの紙以外何もない。
本と呼ぶにはあまりにもお粗末で、彼は落胆のため息を吐く。
最後のページに手をかけると彼は違和感を覚えた。そのページだけ他とは違い厚みがあり、どうやら二枚重なっているようだということに気が付くと、彼は刻みの良い音を発しながら閉じられていたページを開いた。


 -かみさまなんてだいきらい-


赤い背景に泣いている二人の人のようなもの、そして羽の生えた山吹色の髪をした何かと、黒いローブを着て鎌を持った顔の見えない何か。そして先ほどのようなたった一文も含め、全てクレヨンでぐりぐりと殴り書きをされていた。
彼はそのページの異質さに一筋冷や汗をかく。子どもが描いたとは思えないほど、力強い筆圧で描かれた得体の知れない絵に恐怖を覚えて、慌てて少年は本を閉じ、棚にしまう。
その時だった。


「他人の部屋を勝手に漁るなんて、君って育ちが悪いんだね」


不意に少年の後ろから声がかかった。一瞬肩を震わせた彼が振り返ると、そこには長い山吹色の髪をした人型の”何か”がいた。それは誰でもすれ違いざまに振り向いてしまいそうなほど、大変美しい見目をしていたが、その場の空気全てを凍らせてしまう様な恐怖感をどこか感じてしまう、異質な”何か”であった。
鶯色の瞳で冷たい眼光を風雅に向ける”何か”は、逆さになりながら目線が合う状態で浮いており、その背中には大きな羽が数枚、ゆっくりと動いていた。


「…あの、貴方は?」
「君の元居た世界じゃ、先に自分から名乗るのが礼儀なのだろう?」
「あ、すみません。俺の名前は…多分、小暮風雅です」


風雅の言葉に、何かは極めて不快そうに眉をひそめる。何かの一挙一動に、得体の知れない恐怖感に襲われていた風雅の身体がその都度大きく震える。


「多分?」
「…すみません。ここに来た時からなんだか記憶が曖昧で。部屋を漁ってしまったのは申し訳ないと思っています。でも、少しでも自分の身に何があったのか知りたくて…」
「ふーん。まあいいや、部屋を漁ったことは百歩譲って許してあげる。僕の名前は…と、思ったけどやっぱりやめた。僕の事は適当に神様って呼んで。間違ってないから」


そう言うと、自称神様は逆さまになっていた体を反転する。
そして再度降り注ぐ検品するかの様な自称神様の目線に、一歩後退りした風雅は、目の前の人型の化け物に明らかに怯えていた。


「か、神様ですか?」
「そう。そして僕が君をここに連れてきた。そして君の身に何が起こってここに来たのか、それらも全て僕は知っている」
「本当ですか!?教えてください!」


神様の言葉に風雅が反応する。その姿を見て深く大きく神様はため息を吐く。
そしてその後、あまりにも無邪気な顔で神は微笑んだ。それはまるで捕まえた蝶の羽をちぎり取って遊ぶ、子どものような残虐性を含んだ笑みだった。


「お断り」
「え」
「だいたいさ、聞けば何でも教えてもらえると思ってるその精神を疑うよね。それに教えてやる義理が僕にあるとでも思ってるわけ?頭湧いてるの?」
「…ひっ!す、すみません…」
「はっ、それなら僕は君に伝えたいことだけを言うことにしようじゃないか。まず、


君はすでに死んだ人間だ」


一瞬の静寂が彼らを包んだ。
風雅の額から汗が滲み、その瞳は視点が定まらず泳いでいる。


「は…?で、でも俺はこうして動いています。心臓も………うごい………て」


風雅は心臓に手を当てる。しかしそこは何の音も発さずに動いてもいない。焦って彼は首に手をやる。
本来ならば体温を感じることのできるその場所さえも熱を待たず。ただただひんやりとまるで冷水のような状態であったため、彼は息を吞んだ。


「動いているわけがないだろう?もう君は魂だけの存在なんだから。というよりも口をはさむなよ。
僕は君と違って暇じゃないし、時間がないんだ」
「どうして…俺は死んでいるんですか?一体何が、俺の身に何があったんですか!」
「はさむなと言っているだろう鬱陶しいな。君こそ何で覚えてない訳?僕は君から記憶を奪った覚えはないんだけど?」


神様の言葉に風雅は必死に頭を巡らせた。なぜ自分が死んでしまったのか。以前自分はどういう人間だったのか。友人関係は?家族関係は?恋人の有無は?趣味は?
しかし何度頭を巡らせようとも、彼が覚えていたことは自分の名前と、誰から言われたのかも思い出せないあだ名の二つきりだった。


「…覚えていることが一つだけ。俺は………化け物と呼ばれていました…」
「ああ、間違ってないよ。君は確かに化け物と呼ばれていた。しかし他の事は思い出せないなんて、そうとうあの事件は君にとってショックだったみたいだね」
「あの”事件”?」
「そんな疑問符をぶつけられても教えないし、自力で思い出せよ。でも、都合がいいな」


鶯色の瞳が風雅をとらえる。薄く不気味に笑った神様の雰囲気に、彼は背筋の震えを感じ、防衛本能が警告を発した。
こいつから逃げろ、と。


「何逃げようとしてんだよ」


咄嗟に振り返って逃げ去ろうとした彼の腕を、爪が肉に食い込むほど力強く神様が掴んだ。腕を振り払おうと風雅は思い切り腕を振るが、一向にほどける気配はない。ただただつまらなそうに風雅をとらえる鶯色の瞳が光っている。

「は、離してくれ…!」
「この空間からそう簡単に逃げれると思ってんのか。大体どこに逃げるつもりだよ。…まあいいや、どうでもいい、本題だ」


神様は風雅の頭を掴むと、勢いよく振りかぶり壁にぶつけた。


「がぁ…っ!」
「お前、もう一回生き返れ」


風雅の耳元で神様は楽しそうに嘲笑いながらそう告げた。ミシミシと彼を掴む手から音が鳴る。


「一回…?いや、足りないな。足りない、何度でも、そう、何度でもだ!繰り返し繰り返し絶望しろ!救われたと思って絶望しろ幸せになれると思って絶望しろ努力が報われたと思って絶望しろ生きる幸せを噛み締めた後絶望しろ大事な人を失って絶望しろ!燃えろ、燃えてしまえ!全て全て!私から彼を奪った時と同じように!」
「いた…い!やめ…!」
「呪いを…、必ず不幸な最期を迎える呪いを!私から幸せな日々を奪った糞みたいなルールを作ったあいつを苦しめるためだけの生贄を!」


風雅の頭部を包むように紫色の魔法陣が展開する。魔法陣の周囲を漂う、同じく紫色の色彩をした煙が、まるで強烈な毒のようにじわじわと風雅の体の中に浸食した。その度に風雅の体は痙攣し、目を見開き、身じろぎ一つとる事さえ叶わなくなる。


「ぅぐっぅ…あぁ…」
「絶望の中でもがき苦しんで死ね」


神様のその言葉を最後に、風雅は意識を手放した。
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
――おぎゃあ、おぎゃあ
 
産まれたばかりの赤ん坊を抱えて、田舎娘が着るような和服を着た。瑠璃色の長い、長い髪の女がねんねんころりと子守歌を歌っている。
女の背中の後ろで大きな城が燃え盛っている。後ろに続く朱色の髪を揺らす従者が、奥方様と女を呼ぶ。
だが、女は後ろを気に掛けるでもなく、ふらふらとした足取りで林の中へ、中へと歩を進める。
その道中、不意に何かを思いついたかのような顔をして抱えた赤子に微笑む。

 

「風雅、風雅にしましょう。今日からお前は風雅。あの人と同じ読みの、ふうが」
 
後ろに控えた従者が目を見開き、女を見つめる。だが、それだけである。すぐに顔を伏せると黙って女の後に続いた。
 
「おかえりなさい。私の愛おしい、ふうが」
 
女は抱えた赤ん坊に顔を寄せると赤子特有の柔らかな肌に頬擦りをし、それ以降何か言葉を放つことはしなかった。
 
 
 
 
 
 
 
ある一軒家の前で、決して裕福とは言い難い服装をした少年が掃き掃除をしていた。横縛りで肩ほどまで伸ばした瑠璃色の髪を揺らしながら、夏の暑さに汗を時折垂らしながら時々家の中を気にしては振り返る。
今日で八歳になった少年のために、家の中では彼の母親らしき長い髪の女が、特別な料理を作ろうと躍起になっている様子が窺える。だがそれは少年からしてみれば少し思う所があるようで、数分ごとに短くため息を吐いていた。原因は言わずもがな、家の中から聞こえてくる短い悲鳴や木製調理器具同士がぶつかり合い放つ、鈍い音のせいだろう。
少年が掃き掃除を始めてから十回目の悲鳴が聞こえたあたりで、彼は家の中を覗き込んだ。
 
「あの、静江さん。無理なさらなくても…、いつもみたいに俺が調理しますから」
「何言ってるのよお!自分が産んだ子に料理の腕が負けてるだなんて、母親として情けないじゃない。私も8年もこの生活してるんだからいい加減料理くらい一人前にできる…いったあ!あーん、また指切っちゃったわ!キャーお玉がー!」
 
少年が目の前の光景に頭を抱えて、静江と呼んだ女の元へ歩み寄る。
飛んで行ったお玉を棚に戻して、子ども用の手作りの不格好な台に乗ると、静江が苦戦していたジャガイモの皮むきを替わった。慣れた手つきで、少年は静江が行っていた時の半分ほどの時間で皮むきを終える。
そしてそのままいちょう切りに包丁を入れ、それが終わると玉ねぎや人参を切っていった。
 
「慣れないうちは無理に効率良くやろうとしないで、ひとつずつ処理していく方がいいんです。同時にやると、さっきの静江さんみたいにやることが処理できなくて、対応に困ってしまうことがよくありますから」
 
手慣れた手つきで次々と女のやっていた作業を終わらせていく少年の傍で、少年と同じ切れ長の目をした若い女は、切った指を恨めしそうに見つめていた。
 
「私だってやればできるのよ?」
「お気持ちは嬉しいんですけれど、俺はこういったことをするのが好きなので、静江さんに誕生日を祝ってもらえたうえで何か頂けるのならば、俺の作った料理を笑顔で召し上がって頂ければ、一等嬉しいのですが」
「むー、お母さんなのに…はあ、この家じゃ台所は男子禁制なんて言ってられないわねえ」
 
静江は少し頬を膨らませながら、瑠璃色の瞳を涙ぐませ、てきぱきと自身の指の治療を施す。その後、少年が放棄した庭掃除を代わりに行うために外へ出ようとした。普通であれば八歳児に家事をさせ、そのまま放置など到底あり得ない行為であるはずなのだが、それがこの家庭では当たり前になるほど、風雅はそれらしい失敗もなく淡々と料理をこなしていく毎日を過ごしていた。
 
「じゃあ宜しく頼むわね、風雅」
「はい、静江さん」
 
少年は料理をしながら思考を巡らせる。それは彼がこの世界に生まれてから、長らく思考を奪ってきた、新たに生まれ落ちたこの世界についてのことである。
始まりは彼が三歳になった頃だ。あの神様と出会い意識を手放した後。再び目が覚めた彼は古びた一軒家でたった一人、女が甲斐甲斐しく自分の世話を焼いていたことに驚愕した。
外で掃き掃除をしながら、ご近所さんとの井戸端会議に花を咲かせる彼女の名は静江。風雅の母親だと名乗る、年の割に落ち着きのない女性である。
意識が戻った時には自分の体でさえ何もかも自由に、とはいかないほど幼くなってしまった彼は悟った。
 
『また、生まれてしまった』と
 
この時風雅が詳しく覚えていたことは、あの自称神様との会話。そして自分は化け物であるという意識だけであった。その結果自分が新たに生を受けたことを酷く嘆いた。それは自分がどれだけ気をつけようと、目の前の女性を不幸にしてしまうという事実によって。
その後彼は少しの距離を歩くだけで疲れてしまう体に鞭を打って、できる限り歩き回り、自分の周囲を探索した。この時彼はこの世界の風景に対して、決して少なくはない違和感を覚えていた。そしてその感覚はすぐに正しかったことを彼は知る。
窓ガラスのない外の景色を見た時、馬に乗った集団で移動する武装した団体。それは生前の記憶の一部を思い出すほど強烈な光景であり、嫌でも以前いた世界とは違うということを自覚する光景であった。
そう、ここは
 
「まさか戦国時代に生まれ変わるとはなあ…」
 
外でまた馬の鳴く声が響いた。
 
 
 
 
 
 
だがそれにしてはおかしい、と彼は自分の手に持った茶色く四角い固形物をじっと見つめる。
 
「この時代に詳しくはないけど、カレー粉って…そんな便利な調味料があるわけ」
 
ない、ない。と呟いてまた頭を抱える。そう、彼が素直にこの世界が戦国時代と捉えるには、あまりにも常識外の要素が多かった。
一つに家畜分業や農業が現代と変わらないほど栄えている割に、家電や機械の類は一切ないということ。月日の数え方が旧暦ではなく太陽暦であるのにも関わらず、何故か時間の数え方は卯の刻や酉の刻といった不定時法であること。戦国時代なら知った武将の一人はいるだろうと、城主の名前を聞くと、これまた一人と知った名前のいなかった事。時代が違うのかと平安時代や鎌倉時代の武将の名を上げても、誰一人として知っている人がいなかった。
 
しかし、彼にとって幸いだったのはこれらの事を調べているうちに、いくつか自分の事を知ることができたことだ。彼が前の世界で死んだのは、平成時代の高校二年生の頃。暑苦しい夏の日だということだ。そして顔はおぼろげだが、歴史オタクの友人がいたことを思い出していた。
そして見守ることが出来ないほど料理が下手な静江の代わりに家事をやっている内に、自分の趣味は料理をすることだったということを思い出した。それ以外の記憶は依然思い出そうとすると頭が痛くなる一方で何の成果も出なかった。
 
「まあ便利ではあるし、困ってもないけど困惑するなあ…。本でも見て知識を付けようかと思ったけどこんな田舎にあるわけもないし…」
「風雅困ってるの?手伝う?」
「いや料理はべつに順調なんだけど…って、何だ、不審者かと思ったじゃないか六兵衛」
「うん、来ちゃった」
 
いつの間にか傍らにいた、ボロ布を使い上部で一つくくりにしている薄緑色の髪の少年の、丸い桃色の瞳にじっと見つめられながら、声をかけられる。風雅は一息ついてから、咄嗟に身構えていた包丁を洗うと籠の中に入れた。
風雅はこの世界に来てから何かと地元民との交流を避けてきた。神様の呪いや化け物としての意識が他人を遠ざけたのである。母親であるはずの静江は元気が有り余って仕方がない年齢であるはずの息子が、同年代の子ども達と遊ぶことなく家事を手伝う様子を何とも思っていないのか、彼に対して何も言ってはこなかったが。

 

そんな中彼が五歳の時引っ越してきたお隣さんが六兵衛である。
風雅と同い年の彼は、以前大層裕福な城仕えだったが落城し、そこから下り坂を転げ落ちるかのような転落人生。借金だらけなうえ父親の夜逃げによって家族仲も悪く、家庭内暴力などいつものこと。風雅と出会った日も兄弟に虐められ、迷子になった挙句家族は一切彼を捜索せず、引っ越したばかりで当然彼に友人もおらず。頼りがなく歩き疲れて四肢を抱え、座り込んでいた彼を、偶然情報収集のために遅くまで周囲を探索していた風雅に発見されたのだった。
こんな遅くまで唯一自分を心配して救助に来てくれた人。風雅が夕日に照らされた姿を見て、そう判断した六兵衛は、彼を救世主だと勘違いをした。それからというもの、彼は周囲が引くほど風雅に依存した。
その証拠に、彼が身に着けたアンバランスな装飾品は、どれもこれも風雅家から貰った物でごちゃごちゃとしていた。長年愛用しているからかどれもこれも縫い合わせ使い古している。彼の中で最初におはようを伝える相手は必ず風雅からと決まっているし、最後におやすみを伝える相手も風雅と決まっていた。将来の夢は風雅と同じ墓で眠る事とまで来て、この時点で風雅は助けたことを少し後悔していた。だが同時にタイミングがいい事だけが取り柄だと、生前友人から言われていたのを思い出す。そして、なるほど、と苦笑いをし、仕方がない事だと諦めるようにしていた。
 
「あ、風雅。誕生日なのでしょう?今は家族が邪魔で何もできないけど、これ、僕の庭で採れたタケノコ」
「ありがとう六兵衛。嬉しいよ。じゃあそれを使ってもう一品作ろうかな。でもいいの?六兵衛の家で食べる分は大丈夫?」
「ふふ、風雅が喜んでくれて嬉しい。うん、別にいいの。あいつらなんか気にしなくていいんだよ。飢え死んじゃえ」
「こら、そういうこと言わない」
「だってそうしたら風雅が僕を拾ってくれるもの。静江さんもいいって言っていたもの」
「静江さーん!何勝手なこと言ってるんですかー!」
 
丁度井戸端会議が盛り上がっているのか、風雅が大声で主張しても、どうやら静江の耳には入っていないようだった。諦めてため息を吐くと、六兵衛は困り眉で風雅を見上げて、彼の袖を軽く引いた。
 
「迷惑…?風雅は僕のこと嫌い…?」
「迷惑ではないけれど、お互いの家の事もあるし。六兵衛はこれから大人になる過程で、きっと俺みたいな化け物よりもいい人が見つかるから。そんな早計なことを言うのはやめなさい。六兵衛は俺以外と幸せになるんだよ」
「いないもの。風雅がいい。風雅と一緒に幸せになるの」
「はあ…俺は女の子が好きだよ」
「じゃあ女の子になるもの」
「はいはい」
 
風雅は六兵衛との会話を諦めて、彼の頭をぽんぽん撫でた。家庭環境が悪かったせいなのか、六兵衛の常識は転生した風雅とまた違った意味でずれていた。風雅は子どもの言うことだと割り切り、成長するにつれて直っていくだろうと高をくくっていたが、数年後この考えは間違っていたことを知り、彼は後悔する。そして戦国時代では男色が普通であったということを、この時の彼は知らなかった。

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