第一章 第二幕―入学おめでとう―

「で?結局四半刻待たされた訳だけど。男女、僕と風雅に何か言うことは?」

「うぐっ!…すみませんでした」


あれから風雅達は学院内に入り、露の案内で何ヶ所か主に使う施設を巡りながら、自室へと案内されることになった。


「学院に入ってすぐ脇は記名札を張り出す看板だ。記名札って言うのは、外出時にあそこへ張り出すことになっている、自分の名前が彫られた板の事だよ。

君達の分は明日教室で渡されるから無くさないようにね」

「看板の記名札をそれぞれ囲っている白枠は何か意味があるんですか?」

「うん。少しでも安全に帰れるように外出は二人以上でないとできない規則になってるんだ。枠は誰が誰と出てるか分かるようにするためだね。

ちなみにその隣の日付は帰宅予定日。あれを一日でも超過したら先輩や先生方が全員で探しに行くことになってるから、帰りが遅くなる時は学院に連絡をするようにね。方法は授業で教わるよ」

「あ、すみません露先輩。私の記名札を取ってきます」


一華は看板に駆け寄り、自分の記名札を手に取ると懐にしまい、今日の日付が書かれた紙を脇の箱に捨てた。

看板の側面には紙の束と筆がぶら下がっている。


「お待たせいたしました」

「大丈夫だよ。さあ、次に行こう。と言ってももう見えているけど、あそこの右端の建物が湯浴み場だね。学院長が湯煎が好きだから皆で入れる大浴場だ。入る時は組単位で予約することになってるよ」

「予約はどう行うんですか?」

「建物内にそれぞれの時刻が書かれた看板があるから、放課後に組の代表が記名札を立て掛けておくんだ。外出板を反対にすると使用中の意味になるから覚えておいてね」

「今は湯気が立ってるね」

「ああ、時間帯的に今は肆年が使用中だろうね。新壱年は今日だけ監視官だった組と一緒に入る事になってるから、後で私と入ろう。今日の代表は壱陽だから保彦と違って忘れてないだろう」

「みせねん…?」

「最上級生だよ。彼らも今日は実習だったみたいだから疲れきってるだろうね」


風雅と露の話を聞いて、少し後ろを着いていた一華が、不安そうな顔で六兵衛を見下ろす。

その後彼女は少し屈んで六兵衛に耳打ちをした。


「六兵衛。今年の肆年は血の気が盛んで横暴な面があるから、貴方みたいな人はすぐ目をつけられると思うけど…気をつけなさい」

「分かった。負けない」

「喧嘩を売られても買うなと言ってるのよ。阿呆者。…まあいいわ」

「湯浴み場の左隣に見える施設は食事処だね。生徒が各自で作ってあの場所で食べてるから、君達も自分の分は自分で作るんだよ」

「へえ、ここまで大きな施設ですから担当の方がいらっしゃるかと思ってました」

「んー。昔は居たらしいんだけど随分前に辞めちゃったみたいで、それからはこの形式に落ち着いたみたいだね」


食事処の形式に心を躍らせて風雅の口角が上がる。何せ風雅の得意分野である料理を得意な人間が居ないという状況は、誰かの存在を気にせずに好きなことに打ち込める絶好の機会だからだ。


「因みに食事処の左隣は倉庫関連で、授業で必要な物は、だいたいそこに取りに行くことになるよ。食事処の後ろの一等大きな施設は教場だね。下の階層から順に学年が上がっていくようになってるから覚えておいてね」

「同じ教室で全学年が学ぶ女人教室は、壱階の外通路を通った先の一等奥にあるわ。道中は罠まみれだからそう簡単に来ようと思わないでよ」

「教場の右側が先生達の教員寮や、修練をするための施設が並ぶ場所になってるよ。教場の左側が保健室や蔵書室等の、使用用途の異なる施設が並ぶ場所だよ。内部の細かいことは、使用する時に先生達が教えてくれるからその時にね」

(教員寮…学さんはそこに住むのか)


風雅達は教場の脇を通り、さらに奥へと進んだ。

そうすると同じ大きさの、外観も全く同じの建物が等間隔に並んでいる空間に出た。


「あそこが君達が住むことになる長屋だよ。前年度の卒業生の列が新壱年の長屋になるから、今年は左から順に学年ごとだね」

「女人寮は罠区画を隔てて更に奥にある」

「あれ?そうすると一列多いですね。右端の施設は他とは随分見た目が違っていますが、もしかしてお店ですか?」

「よく分かったね!そう、右端は生徒が必要な物を買うための施設だよ。娯楽品も日用品も全て揃うし、髪結いや染物屋も勢揃いの便利な場所だ。

だけど今日はもう疲れているだろう。店巡りはまた今度にして、長屋で荷物を置いて湯浴み場へ行こう。君達の自室はあそこだよ」


風雅達は左端の長屋の、丁度中央に当たる場所に案内をされた。

外観は普通の木造建築だが、清掃が行き届いているにも関わらず、年季が経って落ちないシミや木目の亀裂等が所々伺える。


「ここが今日から君達が過ごす部屋だ。支度ができたら出ておいで。外で待っているからね」

「分かりました。ここまでの案内もありがとうございました」

「んと、ありがとうございました?」

「まったく、どうして疑問形なの。露先輩。私も女人寮に戻ります」

「うん。一華ちゃんもお疲れ様。君がまた明日の朝、息を呑むほど端麗な一輪の藤の花でいるように、質の良い睡眠を心がけておくんだよ。お香はヒノキが好ましい。実に良く眠れるからね」

「ま、またそんな!恥ずかしい…。…はい。露先輩も良い夜をお過ごし下さい」


露に数度頭を撫でられた後、一華は一礼し、更に奥へと立ち去って行った。

風雅達は自室に荷物を置いた後、湯浴みを済ませると忙しなかった一日を終えた。


そして朝を迎え、突如大きな笛の音が長屋周辺に鳴り響き、風雅達の耳をつんざいた。

眠気眼を擦って風雅が外に出ると、緑青色の短い髪を無理やり括ったガタイの良い男が、抱えた笛を鳴らして闊歩していた。


「みんな朝だべ。起ぎろー。

新壱年生は朝礼があっから、修練場さ集合するんだべー!」

「…んむ、朝から煩くして凄く迷惑。誰なの?」

「どうやら集合があるみたいだね。六兵衛、支度をしよう」

「はーい」


二人は身なりを整えると、教場の方角へ歩いていく。

風雅が周囲を見ると先ほどの男の言葉を聞いて、続々と長屋から人が出てくる様子が伺える。

その中には昨日一緒に行動した露が、笛を吹いた男と一緒に雑談をしている姿も見えた。


「あ、露だ」

「露先輩、ね。そうやって呼び捨てしちゃ駄目だよ。先輩なんだから」

「…僕が先輩を呼び捨てにしたら風雅は迷惑?」

「そうだね。敬意を欠いたことで何が起こるか分からないし、余計な問題は起こさない方がいいから」

「分かった。じゃあ呼び捨ては止める」


二人は露の隣に立つ男が気になり、一度合流しようと足を進めた。


「やあ、おはよう。昨晩は良く休めたかい?

瑠璃色の輝きが雨上がりの新緑に負けない色を放てるように、見繕いはいつでも完璧にね。

…ふふ。寄り添う者も、その色香に並び立つのに相応しい、極彩色の輝きを放てるようにしないといけないよ。分かったかい?」


露はそう言うと、六兵衛のズレ落ちかけていた羽織を整える。

その様子を見てガタイの良い男が愉快そうにへらりと笑う。


「…?はい!」

「あ、すみません。露先輩。ありがとうございます」

「へへ。まーた露ぢゃんの悪い癖がでたべな。言ってる事が難し過ぎで何言ってるが、おらには分がらねぇべよ。

おめらに会うのは初めでだべね?おらの名前は壱陽。

露ぢゃんと同じ参年生だべ。せっかくだし一緒さ修練場さ向がうべが?」

「はい。俺は風雅です。隣は六兵衛と言います。これからよろしくお願いします」

「礼儀正しい子だねー。じゃあさっそぐ向がうべ。

露ぢゃんはその後一緒さ教室さ行ぐべな」


風雅達が修練場に着くと、既にそこには同い歳くらいの少年少女が喧しく談笑しあっていた。

彼らの先を見ると、一華と獅子王丸が見知らぬ人達と一緒に一つの台を囲って整列している姿が見える。

その脇を見ると、黒の装束を着て緊張した様相で、同じ格好をした大人達と話をしている学がいた。

学と同じ格好をして立っている人達は教員達なのだろうと風雅が思っていると、学と目が合って手を振られた。

それに応えるように少年少女の輪に入りながら風雅も手を振り返す。


「じゃあおら達は教室さ行ぐがら、まだ今度ゆっくりご飯でも…」

「あ、兄ちゃん!」


少年少女の輪の中から、珊瑚色の髪をした一際顔立ちの整った少年が顔を出した。

その顔を見た壱陽が、酷く驚いた顔をした。


「…弐陽?何でおめがこごさ居るんだ!家はどうした!」

「兄ちゃんを追いかけて来たんだ!私も兄ちゃんみたいな乱波になりたいって思って。通える歳になったから、地図持って家を飛び出してきた!」

「馬鹿言ってるんでねぇ!おらはおめが居っから安心だで思って、父っつぁまに土下座して頼み込んで家を出だんだ!

父っつぁまもおっかさまも、もう歳だ!これがらかぎいれ時が来るってのに、若えのが居ねぇんじゃ収穫が間に合わねえし、跡継ぎはどうなる!」


先程までの穏やかな顔とは打って変わって、壱陽は必死の形相で目の前の少年の肩を力強く掴む。




目の前の光景から、身に覚えのある悪寒が風雅の体を走っていく。身体から力が抜けて汗が止まらなくなり、テレビの砂嵐が風雅の視界を埋めていく。


(また。まただ。今度は第三者視点…なのか?

雨…。葬式。繋いでいた手が、幼い頃の俺の首に伸びる。

眼鏡をかけた男。誰なんだ…)

『…お前が××××を殺したのか』

「××…さ…ん」

『…化け物め』


言葉をそう投げかけた男の顔が悲痛に歪む。


(何で…そんな悲しそうな顔をするんだ…?俺を殺そうとしてるのは貴方じゃないか…)


幼い頃の風雅の口が空気を吸い込もうと動く。そして、そのままもう一度彼は言葉を発した。


「兄…さ…ん」



「…が…うが…風雅!」

「ん…あ、六兵衛」

「大丈夫?突然項垂れたから心配したよ。立ちくらみ?後で学に診てもらおう」

「ううん。大丈夫。…それより先輩達は」


風雅が目の前を見るとそれほど時間は経っていなかったらしく、まだ壱陽が少年の肩を掴んだままの状態で怒鳴りつけていた様子が伺えた。

弐陽と呼ばれた男の子の恐れた表情を見て、その壱陽の肩を露が引いた。


「…こんな所でやめなさい。風雅君達が見ているよ。

三人ともすまないね、嫌な思いをさせてしまって。私達はこれで退場するよ」

「露ぢゃん…。ごめん。

二人もごめんな。今度埋め合わせはすっから。

弐陽も、突然怒鳴って悪い事したね。おめがこごでちゃんと生活でぎるようにあんにゃも手伝うがら…。今はそっとしておいでぐれ」


弐陽の頭を数度撫でて、露に声をかけられながら二人はこの場から去っていった。


「…兄ちゃん。喜んでくれると思ったのに」


弐陽と呼ばれた少年も肩を落としながら、また少年少女の輪の中に戻っていく。

少年の後に続いて、風雅達もその輪の中に進んで行くと、遂に学院長が現れ、一華達が囲う台の上に立った。

学院長が咳払いをすると、さっきまで騒がしかった空間が静まり、全員が学院長に視線を向ける。


「あー、新壱年生諸君。私の名前は龍宮小五郎。ここの学院長をやっている。

ここに集まった者達は、それぞれがそれぞれの理由でこの学院への門を叩いた者達である。

私が直接勧誘を行った者。自力でこの学院のことを知り、自力で辿り着いた者。

そのどちらも同じくこれから肆年を共にする仲間になる。

さて、今日から正式な授業が始まる訳だが、私から君達に与えたい物がある。

それは自由と安全だ。

君達はこれから肆年を自由に生きていい。

君達が将来得たい物。なりたい物。そのために必要な授業や課題を私達は提供しよう。

学ぶ内容は君達自身が選びなさい。決して悔いのないように、思い出をたくさん作れるように。

そのために私達教員は君達が安全に学べる様、死力を尽くすことを約束しよう。

君達の人生は君達自身に選ぶ権利がある。

それを忘れないように。


入学、本当におめでとう」


学院長が最後に微笑むと、そのまま台を降りて行く。

学院長の言葉を聞いて何か引っかかる所があったのか、六兵衛が背伸びをして小声で風雅に耳打ちをする。


「ねえ風雅。全員乱波になる訳じゃないみたいだね」

「うん。来る最中で一華先輩が言ってたけど、授業で学ぶことの多くが乱波に通じてるだけで、他の道に行きたい人はそっちにも行けるようにしているみたい」

「この学院で一等学べることが乱波の技術ってこと?」

「そうみたいだね。あ、獅子王丸先輩が台に上った」


緊張した様子の獅子王丸が、咳払いをして胸を数度叩いてから声を発する。


「弐年壱組の龍宮獅子王丸です。これから皆さんには各自の教室に行って頂きます。

壱組と弐組の組み分けはこちらで行って、あちらの看板に張り出しておきました。各自の教室を確認したら、教室で実技用の装束と、担当の先生からこれからの行動を聞いて下さい。

では、皆さんの良い学院生活を祈っています」


胸を撫で下ろした獅子王丸に、隣に戻ってきた一華がその脇を肘でつつく。

恥ずかしそうにする獅子王丸をからかっている様子が、少し遠くに居る風雅からでも見て取れる。


「風雅!同じ組だといいね!お部屋一緒だったから、きっとそうだと思うけど、僕、風雅と同じ組で隣の席になる!絶対なる!」

「あ、六兵衛。あんまり言い過ぎると叶わない可能性が…」

「早く早く!早く見に行こう!」


解散して再度賑やかになる空間から一足先に飛び出して、風雅と六兵衛は手を繋ぎながら看板に向かう。







「何で違う組ーーーーー!?!?!?!?!?!?」

「あー…落ち込まないで、六兵衛。たまに遊びに行くから」

「たまにじゃやだーーーーー!!!!!はっ!!!この組制度考えたやつを殺る…そうすれば今からでも一緒になれる…」

「それ学院長だから!人として駄目だから!」

「どいて風雅!学院長殺せない!」

「落ち着いてってば!」

「…君達は何をしているんだ?」


鍬で武力行使に出ようとする六兵衛を、風雅が両腕で羽交い締めにしていると、二人は背後から獅子王丸に声をかけられた。


「あ、獅子王丸先輩。大した事では無いんですが…その、六兵衛が暴れてまして…」

「組み分け制度廃止して!!こんなの理不尽だよ!もはや暴力だよ!風雅と墓まで一緒にいたいのに違う組とかどういうことーー!!」

「ああ、その事か。想定していたよりも凄い暴れっぷりだが…、戦闘の方向性を考えて君達の組を分けたんだが、そんなにまずかっただろうか?」


獅子王丸は頬の傷を数度掻くと、少し申し訳なさそうな顔を風雅達に向けた。


「っとと、戦闘の方向性…ですか?」

「六兵衛は力押しで相手をねじ伏せる戦闘をするだろう?だけど風雅はそうじゃない。風雅はなるべく戦闘は避けて、事が起きた時には避けに集中して、相手を罠に填めようと機会を窺う戦闘が得意になると思ったんだ。

組が違えば特色も違うから、得意な分野をできるだけ伸ばせるような組み合わせにしたんだが…」

(なるほど、文系理系と体育会系で組を分けてあるのか)

「ゆる…さない。僕も今から罠を覚える…風雅と同じ組になる…」

「悪いがもう決まってしまったことだ。潔く諦めて自分の組に向かいなさい。どうせ自室は一緒なんだ。そこまで変わらないだろう」

「むっ…むが!」

「そうですね。じゃあ俺も六兵衛を連れて向かいますね。失礼します!」


このままだと暴言を吐いてしまいそうな六兵衛の口を手で塞いで、風雅は六兵衛を引きずりながら教室へと向かった。


「ほら着いたよ六兵衛。そろそろ機嫌直しなよ」

「むー…風雅と一緒じゃなきゃ意味がないもの」

「もう。俺以外の友達もちゃんと作らなきゃ駄目だよ。せっかくたくさんの人と触れ合える機会が巡ってきたんだ。色んな経験をしなくちゃ」

「…風雅が居ればいいもの。大事な物が増えたら、風雅は居なくなっちゃう」

「え?」


俯いた状態で、鍬を抱き抱える力を一層強くした六兵衛が風雅の顔を見上げる。


「僕、約束絶対守るから。風雅より好きな人なんか作らないし、今よりもっと強くなって風雅をずっと守るから。

…だから、たまに僕のことを思い出して定期的に会いに来てくれないと怒るから。風雅すぐ目の前のことに夢中になって僕のこと忘れがちだもん」

「はは。大丈夫。ちゃんと会いに来るから。約束」

「うん。約束。ふふ、じゃあ行ってきます。またお部屋で会おうね。虐められたりしたらすぐ言ってね!僕容赦しないから!」

「六兵衛に言ったら相手の子が悲惨なことになりそうだなあ…。はは。さて、俺も教室に入ろう」


六兵衛と別れて風雅も自分の教室の扉に手を掛ける。

不安や希望等の感情が入り交じった心を深呼吸で落ち着かせて、風雅は扉を開けた。



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