第一章 第一幕―入学試験―
学が風雅達と合流した後、しばらく歩いている内に夜が更けた。
彼らは野営を行うことに決めたが、風雅達にとって野営は初めての経験だらけだった。
平成時代とほぼ変わらない料理を作って、それを食していた一家だ。そもそもカエルの肉を丸焼きにしただけの料理や、味付けを一切しない魚の串焼きなど前代未聞だっただろう。
一華が捕まえて来た蛇肉を、六兵衛が一口食べただけで噴き出したのも無理はないことだ。
「…まじゅい」
「まったく、これでも普段の野営に比べたら充分過ぎるほど贅沢なご飯よ。第一、人が採ってきた獲物を噴き出すんじゃないわよ阿呆者!」
「不味いものは不味いもん。僕も狩るのお手伝いしたんだから、言う権利はあるでしょ」
「調味料一式は家から持ってきてますから、味だけでも整えましょうか?」
「へえ、じゃあ頼めるか?美味い飯にありつけるならその方がいい。一華もそれでいいか?」
「今回の主導者は獅子王丸でしょう。今の内に味覚を慣らしておいた方がいいとか、小言は挟まないわよ」
風雅は魚や野草を受け取ると、まず魚を塩胡椒で簡単に味付けをし全員に配った。
その後出かける前に持たされていた野菜や豆腐と一緒に野草を煮立たせ、味噌汁を作った。
「本当に簡易的ですが、多少食べやすくなったかと思います」
「流石風雅、天才。大好き」
「前から思ってたが、あの静江の血が流れてるとは到底思えないくらい料理上手でいつも助かってる。ありがとな」
「はは、美味しく食べてくれる人が居るからこそ長く続けられているんですよ」
風雅は学に頭を撫でられる。その時袖の辺りから若干何かが焦げた臭いがしたが、勘ぐられたくないこともあるだろうと風雅は押し黙る。
その後早めに就寝となり、獅子王丸が寝ずの番に着くことになった。
風雅と六兵衛は隣同士で縮こまって眠りにつく。その寝顔を学がじっと目を細めて眺めていた。
「ところで学さん。貴方は守役の他に乱破もやられていたようだと父から伺っていますが…実力はいかほどですか?」
「悪いが乱破業はどちらかと言うと副業で、得意な方じゃない。
お前の所の父親にもすぐ見つかっちまったしな。実力はせいぜい下忍って所だ」
「なるほど、忍者文字は読めますか?」
「あー、最近めっきり使わなくなったが一応読めはするな。それがどうかしたか?」
「いえ、何でもないですよ。明日も早いですから、貴方も早めの就寝をお勧めします」
「おう、おやすみ」
あれから二日が経過し、一行は極めて普遍的な町にたどり着いた。一華と獅子王丸は食材や必要な資源をある程度買い込むと風雅達の方へ振り返った。
「ここで私達の案内は終了よ」
「え?ということはこの町一帯が学院ということですか?」
「ふっ、違うさ。ここから君達には自力で学園まで来てもらう。それが龍宮学院の入学試験だ」
「今から渡す暗号を解読して、今日の酉の刻までに学院に辿り着くことができれば、晴れて貴方達は生徒になるわ。学院に着いたら門前の生徒に紙を渡しなさい。
当然私達は別行動で、入学試験が終わるまで学院には戻らない。私達に着いて行っても無駄よ」
風雅がそう言われて渡された紙はつらつらと簡単な漢字が並んでいるだけの物だった。「兎亥リ方向、田丁山山十貝し十目、广発宀豕十口才斤、山首廴甬廴」と綴られた文章に風雅が顔をしかめる。
「えーと、兎亥リ方向、田丁山山…??あの、今の時点で文章として読めないんですが…」
「農家の出だから僕は字すら読めない!詰んでる!」
「安心してくれ。暗号と言っても簡単な物だ。風雅にある程度学があると判断したうえで出したのだから、問題は無いだろう。
学さんは忍者文字が読めるとのことでしたので我々と同行して下さい」
「ああ、分かった。二人とも怪我しないように注意するんだぞ。怪しい人にもついて行かない様にな」
学は二人に目線を合わせ、両手で彼らの頭を優しく数度叩いた後、風雅達の荷物をまとめて持つと獅子王丸達と一緒に町の中へ消えていった。
「さて、どうしようか六兵衛」
「うう…僕今回は風雅のお役に立てない…。風雅と何度か文字の書きあいっこをしたから、これでも農民の中では読めるほうなんだけど」
「はは。人には誰にだって得手不得手があるものだから気にしなくて大丈夫だよ。
道の真ん中でやるのも邪魔になるから、あの団子屋さんで休憩しながらやろうか」
「うん。僕も暗号解けるように頑張って考えるね」
二人は近くにあった甘味処で団子を数本購入すると、店の前にある木製の長椅子に座り、暗号の書かれた紙を再度広げた。
「最初に兎と猪が出てくるのは何か意味があるのかな?」
「兎と猪なんてこの辺ではよく見る野生動物だよ?その後に続く田も山も辺りにいっぱいあるし、貝ももしかしたら海にいっぱいあるから、海のことかもしれないね」
「暗号というからには直接的なことを書いてるわけじゃないんだろうけど…」
「なんじゃあ。こんな所で童子二人が暗号解読かいの。どれ、儂も見てもええか?」
風雅と六兵衛は同時に後ろを振り返る。
いつの間に後ろに居たのか、二人が抱えた紙を後ろから覗き込む男が立っていた。この時代では珍しく短髪に切りそろえられた赤銅色に近い色味の髪で、細目の男。
その男は山中で修行をする、いわゆる山伏の格好をしていた。
「あ、おいっちゃん。この子らと儂に団子追加で。支払いは出世払いでよろしゅう」
「はいはい。たまにはツケを払っておくれよ寅さん」
「お小言は辞めてくれや、せっかく修行も終えて山降りてきた言うんに。師匠がまだまだじゃーとか我儘言うとるだけじゃから、言うてすぐまとめて返すわ」
「えっと…どちら様でしょうか…?」
「儂はこの辺の山に居住を構えとる者じゃ。名は寅。よろしゅうな。童達はあれか。小五郎ちゃんとこの生徒か」
寅の言葉に六兵衛が持っていた鍬を抱え直す。
その脇で店員が追加の団子を置いて、面倒事に巻き込まれまいと、そそくさと去っていった。
「おじさん何で分かるの?怪しい…」
「おじさんじゃなくてお兄さん、もしくは寅ちゃんじゃ。怪しいもなにも、小五郎ちゃんの花押がある紙持ってたらそう思うじゃろ。儂は小五郎ちゃんの昔からの悪友でな。坊主達はお使いか何かで出とるんか?」
「いえ、その。俺達今から龍宮学院に入学するんです。これが入学試験でして」
「ああ、なるほどのお。どれ…。なんじゃあ肩透かしな。こんなんめちゃくちゃ簡単な素人問題じゃぞ」
「え!?もう解いてしまったんですか?」
「基本漢字がバラバラになっとるだけじゃ。数箇所ひっかけでそのまま読んだり、漢字ごと変換する箇所があるが、前者が解ければ後者は文章にしようとした時に必然的に解ける」
後ろから覗いてただけの寅が風雅の隣に腰掛けて、暗号に手を置いて解説を始めた。
六兵衛は寅をじっと睨みつけながら、頬を膨らませて威嚇している。
「まず兎は置いておいて、亥リ。これはくっつけると刻。方向はそのままで、兎刻方向。一般的に刻を使う文章は時間のことじゃから、兎は漢字を変えて卯。つまり最初は卯の刻方向となる」
「…なるほど」
「後ろもその法則を使ってといてみい。むしろ後半になってくると漢字の部首が別れとるくらいじゃぞ。問題を作ったやつは手抜きじゃのお」
「はは、きっと初めてだから優しめにしてくれたんですよ。
ありがとうございます。寅さん。
自分達用に作られた入学試験を人の手だけで解くのは、さすがに失礼に当たると思うので、後は自分達で歩きながら解いてみます。
お団子ご馳走様でした。さて、行こうか。六兵衛」
ずっと睨みを利かせている六兵衛の腕を引いて、一度会釈をすると、風雅はその場から立ち去ろうとする。
そうすると寅は八重歯を見せながら笑った。
「お、せやったら儂も丁度龍宮学院に用があってじゃなあ。一人で歩くのも寂しいのと思っておったんじゃ。儂も着いてかせてくれんかのお」
「だめ!おじさん一人で行きなよ!」
「こら、六兵衛。理由も無しにそんなことを言ったら可哀想じゃないか。いいですよ。一緒に行きましょう」
膨れっ面の六兵衛の機嫌取りのために、持ち帰り用の団子を追加購入して三人で町を出た。
町から出た段階で風雅は暗号の続きを解読し始める。
「残りの文章は、田丁山山十貝し十目、广発宀豕十口才斤、山首廴甬廴。
漢字をそれぞれくっつけると…、町出真直、廃家右折、山道通…。文章にしなくてもだいぶ分かりますね」
「足りない文字やらを足して文章に直すと、町を出て直進、廃家が見えたら右折。そのまま山道を通るということじゃな」
「こうして解いてみると実は単純な順路だったということが分かりますね。さあ、進みましょう」
風雅達は暗号の答え通りに順路を辿っていく。
距離もさほど遠く無かったようで、三人で会話をしている間に学院の門が見えてきた。
中央に建つ建物の屋根だけが目視で確認できる程度に、高めの塀が周囲を囲っている。
先ほど風雅達がいた町一つ分を収納しても隙間が空くだろうと思われるほど、大きい施設だった。
「あれが…龍宮学院」
「大っきいとこだね」
「龍宮学院。またの名を箱。卒業するまで容易に出ることは難しく、生活に関わることは大概が箱の中で解決する。そして容易に入ることもできん難攻不落の学院じゃ」
「えっと、一華さんの話だと門前の人に紙を渡すようになってるらしいけど」
風雅達が門前まで来てもそれらしい人は誰もいない。来るのが早すぎたのだろうかと風雅は首を傾げた。
そんな風雅の肩を寅が掴んで自身の方に引き寄せ、その体を持ち上げた。
「うわっ!え、あの、急にどうしたんですか?」
「いやなに、暗号解読の報酬でも貰おうかと思っただけじゃ。
こんな時代に簡単に人を信じたらいかんなあ。しかも体格や実力がはっきりと格上だと分かる相手に隙だらけすぎじゃ。
なあ、坊主のその海みたいな深い蒼の髪と瞳があまりにも綺麗じゃったから、儂の集積物に加えさせて欲しいんじゃが。小五郎ちゃんの所にお邪魔する予定の子じゃし、ここまでずっと我慢しとったんだけどなぁ。
…やっぱ欲しいわ。どっちか持ち帰らせえ」
「っ!風雅を離して!」
「邪魔じゃ」
六兵衛が鍬を振り下ろすよりも前に、寅がその腹を蹴っ飛ばす。
吹っ飛ばされた先で数度転がって咳き込んだ後、六兵衛は立ち上がってまた鍬を抱える。
「六兵衛!」
「っは…負け、ない…もん!!」
「童が吠えよるわ。ああこうして見るとやっぱ髪のひと房よりも眼が欲しくなるなあ、片目だけでもくれんか?他の集積物と一緒にするのも嫌じゃから特別仕様で飾り付けさせて欲しいんじゃが」
「残念ですが、親から頂いた大事な身体をそんな理由で渡す気は毛頭ないです!」
風雅は何度も足で寅の体を蹴るが抵抗虚しく、寅の手が緩む様子はない。その抵抗など関係ないとでも言うかのように片手で両腕を持ち上げられ、もう片方の手が風雅の左眼に伸びてくる。
元々子どもと大人の体格差があるのだから、この状態は必然とも言えるだろう。
だが、寅の手が後数センチで風雅の目に届くという瞬間。寅と風雅の周辺に風が吹き桜が舞った。
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし。作、在原業平。
そこまでです。山伏の寅」
「げ。露ちゃんじゃ。てことはこの桜」
「お察しの通り、即効性の痺れ薬を混ぜこませてあります。私の後輩から手を離してもらいますよ」
露と呼ばれた桜色の髪を背中で結っている、口元の黒子が儚げな雰囲気を誇張させるその男は、力の抜けた寅の手から風雅を奪い、そのまま片腕で抱き抱えた。
「ずっと隠れて寅さんの隙を伺ってたんだ。あの人普通に強いから不意をつくしかなくてね。
力じゃあの人の方が上だから、強硬手段をとってしまってごめんね。解毒薬を渡すから効くまでそこで我慢していてね」
「助けて頂いてありがとうございます。すみません、しばらくお世話になります」
「という訳で、今後この子達に実害を加えないことを約束して頂くまで痺れ薬を浴びせ続けますが、如何ですか?私の作る毒薬の強さはご存知のはずですよね」
「も、もはやそれ脅迫じゃ」
「当然です。龍宮学院の生徒には手を出さないという約束を、生徒になる前ならいけるだろ。だなんて、こじつけが過ぎますよ。ご自身の自制心の無さを反省して下さい」
塩を撒くように、休む間もなく男は痺れ薬を寅にかける。
寅という人間はこうでもしないと直ぐに逃げ出せてしまう強者であることが分かっているのだろう。
「うう、…分かったわ。その子が卒業するまで手は出さん。それでいいじゃろ」
「ええ、その頃にはこの子は自衛の術を得ているはずです。今日はお暇ください。そして後日、また遊びにいらして下さいな。今度は生徒を狙う刺客としてでなく、客人として。学院長は友人が少ないですからね」
「お茶請けは大吉印のお饅頭がいいのお」
「話は通しておきますよ。さ、そろそろ解毒薬は効いたかな。そしたら君を助けようとしてくれた勇敢な少年に賛美の言葉を送ってあげるといい」
「はい。すみません、お世話になりました」
露が風雅を腕から降ろすと、風雅は露に一礼し、六兵衛の元へと走る。
弱々しい足取りで風雅の胸元に倒れ込む六兵衛を抱きしめ、困ったような顔で頭を撫でる。
唇を噛みながら目頭に涙を貯める六兵衛は、そんな風雅の胸元を力強く掴む。
「二回も助けて貰っちゃったね。いつも迷惑かけてごめんね、六兵衛。もう俺の事なんか放っておいていいんだよ。六兵衛の人生なんだから俺を置いて幸せになってよ」
「やだ!一緒がいいの!迷惑なんかじゃないもの!
僕が、僕が弱っちょろいから…全然風雅を守ってあげられない…。風雅にこうやって心配ばっかりかけさせちゃう。強くなるから。悪いやつ相手に怪我しないで倒せるくらい強くなるから!風雅を見捨てろなんて言っちゃやだよ…」
「…ごめんね」
言葉の代わりに泣きじゃくる六兵衛の背中を軽く何度も叩く。いつか自分以外に一等ができる日が必ず来ると、自身を化け物だと自覚している風雅は信じていた。
自分を見捨てて去っていく彼に執着しないように、別れの日が惜しくならないように予防線を張っておくことでしか、そのいつかを耐えられる自信がない。そんな彼が六兵衛の言葉を否定することなど、到底できないことだった。
風雅の視線の先に獅子王丸達の姿が見えた。門の前で大騒ぎをしている間にどうやら酉の刻になったようだった。
いつの間にやら寅の姿も無く、どうやら帰路に着いたようだと風雅は安堵した。
「龍宮獅子王丸。一華と共に任務からただいま帰還いたしました」
「やあ、お帰りなさい。君達も無事で何よりだ。学院を出立してからこの町に着くまでは私と保彦が任務の進行を監視していたけど、私はこの子達の監視のために一度離脱したからね。はい、任務完了の花押」
獅子王丸が取り出した紙に露が押印をする。
そうすると獅子王丸の後ろに植わっていた木から、翡翠色の髪を真っ赤な髪飾りで括っている少年が姿を現した。
「もう僕の任務も終わり?」
「うん。お疲れ様、保彦。後は私がやっておくから自室に戻って休むといい。途中で忘れて迷子にならないでおくれよ?」
保彦と呼ばれた少年は、懐から折り畳まれた物体を取り出して広げていく。数秒も経たないうちにその物体は、その少年よりも大きな虫取り網のようなものだと言うことが分かる。
(この時代に折りたたみ式の虫取り網はさすがにオーバーテクノロジー過ぎじゃないかな…?)
「凪斗に僕の武器調整して貰ってから帰るから、もしまた僕に会って忘れてたら言って。じゃあまた」
「それは…忘れてそうだね。分かった。出会い頭にまた言うことにするよ。
さて、風雅君と六兵衛君。入学おめでとう。私は参年壱組の露だ。君達の自室に案内するよ。着いておいで。
学さんは獅子王丸君が部屋に案内してあげてね。一華ちゃんは私と一緒に着いてきてくれるかな?」
露のその言葉に、ずっとぶつぶつ何かを呟きながら下を向いていた一華が勢いよく顔を上げる。
その顔は顔から湯気が出そうなほど真っ赤になり、目元は少し涙ぐみ浮ついた視線の、今まで見たこともない表情になっていた。
「は、はい!…あの、露先輩。わ、私の、その、えっと、ど、どどど、どこまで監視されていたんですか!寝姿とか、寝起きの腑抜けた姿を晒してたとか、あああ!とんでもない…私はなんという無様な真似を!
それにあの新壱年に割と先輩ぶって説教垂れてたりしてたし…!その、違くて!私は別に普段からあそこまで感情を我慢できない女じゃなくてですね!
その、あの、何というか!忘れてください!!記憶から一切を消してください!」
「ふふ。何を気にしているのかと思えば。大丈夫だよ。私からしたら感情豊かな君もその髪の色や名前の通り、凛と咲く美しい藤の花に他ならないさ。自分を着飾る地に根を張るように強くあろうとする君も、隠された奥底にいる、本来の子どもらしい笑顔の華やかな君も、私はどちらも誇っていい姿だと思うけどなあ」
慌てふためく一華の後ろ髪を優しく掴んで撫でながら、露はとめどなく言葉を紡ぐ。
茹でダコほどに顔中が真っ赤になった一華には、もう彼の放つ言葉のほとんどは入ってきていないとこは明らかである。
「凄い、あの男女を息を吐くように口説いてる。信じられない」
「気にしないでくれ。あの人誰に対してもああなんだ。というよりあれが素なんだ。
学さん、俺と貴方は先に行きましょうか。二人は…えーっと、言い難いがあれが終わるまで待っててくれ。露先輩が満足すれば終わるだろうから」
「止むこと無さそうな気配なんですが、とんでもない事言ってませんか!?」
「…ごめん」
0コメント