序章 第四幕―親子―

「「ただいま帰りました」」
 
風雅達が家に戻るとそこには静江と獅子王丸が向かい合って座っており、そこから少し離れた場所に学が立っていた。
 
「おー、お帰り。てかデカいタンコブ付けて喧嘩でもしたのか六兵衛、ほれ、見せてみろ。
風雅も随分とぼろぼろだな。順番に見てやるからちょっと待ってろな」
「この男女がやった。ひどい。断罪物。風雅と祝言あげる前に傷物にされたの、学やっつけて」
「貴方さすがに矜恃が無さすぎない!?それに何度も男女男女と失礼なことを言って!私には一華って名前がちゃんとあるわ!」
「知らなーい。男女は男女だし、べーっだ。風雅をぼろぼろにした罪は重いんだもん!」
「六兵衛、俺が最初に逃げ出したのがそもそもの原因なんだからそういうことは言わないの」
「む。…分かった。男女ごめん!」
 
六兵衛は明後日の方向を見ながら一華に謝った。
まるっきり反省の色の見られないその態度に、一華は呆れた顔で頭を抱える。
 
「…謝るだけ謝って全く反省する気がないのね貴方。はあ、もういいわ。獅子王丸!話はついたの?さっさと学院に戻って単位を貰いましょう!」
「まあ待て、学院について一通りの話は終わったところだ。後は当人同士の話し合いが必要だろう。
しかし一華。お前が露先輩関連以外でそこまで感情を顕にしてる所を見ると、その子は怒車の術が大層得意なようだな」
「貴方まで私をいじろうとしないで。…ちょっと。
貴方は早く母親と話をつけてきなさい。それが貴方が今やらなければならない責務でしょう」
 
一華はそう言うと顎で早く行けと行動を促す。一度深呼吸をして気を落ち着かせてから、風雅は静江の元へと歩みを進める。
そして普段よりも一層笑みを深めた彼女の前に座った。
 
「お母さんに何か言うことは?」
「…あの静江さん。その、…すみませんでした」
「三年も前に勧誘を受けていたのに何も相談しないで、何も言わずに突然家を飛び出して死のうとした。のを謝りたいのよね。
言葉はちゃんと相手に伝わるように省略せず、相手の立場に立った親切で丁寧な言葉を選ばないと駄目よ。
でもそうね、こうして生きて話し合いに来てくれたんですもの。誠意に免じて一旦この奇行を許しましょう」
 
笑顔のはずの静江から放たれる凍りつくような威圧に、風雅は一筋冷や汗を落としながら、強く拳を握りしめた。
風雅の後ろでは学と六兵衛が小声で、怒ってるね。怒ってるな。と話しながら二人の様子を伺っている。
 
「…真面目な話をしましょうか。風雅はここを出ていきたい?私は貴方が六兵衛君以外と遊んでいる所を見たことがないけれど、本当はもっと友達を作りたかったりするの?」
「…友達は要りません。できた分だけの人間を不幸にするだけです」
「じゃあ夢があるの?ここを出ていかないと叶わないような夢?」
 
『夢』という言葉を聞くと風雅は眉をひそめて苦虫を噛み潰したような顔をする。
過去を思い出そうと必死に頭を捻らせても何も思い当たることがないはずなのに、そのことを考える度に彼の胸は溶かされているように痛む。
『無い』と答えてしまうことで何か大切な物を裏切ってしまうような嫌悪感が、彼の口を固く閉じさせた。
 
「…夢はあるのね。それはお母さんちょっぴり安心。
それを踏まえて聞くわね。龍宮学院に行きたいって思ってる?」
「少し前までは微塵もそう思わなかったです。けど、今は…たくさんの人に出会いたいと思っています。
俺は自分を理解のできない怖い化け物だと思うから…そんな俺がたくさんの人を幸せにできたら、その分だけ俺は俺が好きになれると思うんです。
そうしたら、俺は少しだけ幸せになってもいいんじゃないかって思えるから…」
 
風雅が静江の顔を見上げながら、自分の思いを吐露する。
すると、ずっと張り付いた笑みを浮かべていた静江は下を向いて肩を震わせた。
風雅がどうしたのかと声をかける前に、静江は天井を仰ぐ勢いで顔を上げた。
 
「…ふ、ふふ、あははははは!他人を幸せにすれば自分も幸せになれるですって?
本当に!本当にあの人に似てない子!顔がそっくりなのに、自分が良ければ何をしても構わないなんてほざいたあの男とまるっきり違うなんておかしいこと!同じ読みをしていても貴方は貴方ということ…。
ふふ、ふふふふふ。いいわ。学院に行くことを許可します」
「…静江さん?」
 
突如様子がおかしくなった静江に両頬を持たれ、二人は顔を寄せ合う。
 
「顔をよく見せて。本当にそっくり。でも別人。
私をあの館に閉じ込めて、他の女と幾度も逢い引きを繰り返した男。子が産まれた日に戦で死んだあの男と同じ読みの名を貴方に与えて、私は愛憎が途絶えぬように愛して、憎んで、愛して。
…いつかまたあの頃のように私の子守唄が聴きたいだなんて戯言を、私の膝上で寝転みながら言ってくれる日が来ると期待していた。
だけど途中でふっと気がついた。私の為に料理して、美味しいなんて言葉に喜んで…。ああ、違う。この子は違うんだ…って」
 
そして静江は風雅に優しく微笑む。普段の静江からは考えられないほど母親らしい、気品と愛の溢れた顔を見て、風雅は自分の頬に添えられた手に自らの手を重ねた。
 
「静江さん。貴方は俺に旦那さんを重ねていたんですね」
「ええ…、そして貴方はあの男とは違うと気がついた時。私はようやく母親になれたんだと思うの。…馬鹿よねえ。
私、貴方に母親らしいこと何一つ教えられないまま。ああ、貴方が私を母と呼ばないでいてくれてよかった。私は母親失格だもの。
…学。貴方との契約を私は今ここで破棄します。今までよく付き従ってくれたわ。貴方はこれからどうしたい?」
 
契約という言葉に疑問を浮かべながら、風雅は学を見る。
学は六兵衛の治療を終えた後に、静江の方向に体を向き直すと頭を垂れて微笑んだ。
 
「俺は命尽きるまで小暮家の守役です。貴方が望むままに。一つ望みを言うとすれば、このまま風雅様の守役をお任せ願えれば…と」
「そう、貴方らしいわね。今までありがとう。最後の大役を終えた後もこの子をよろしく頼みます。
六兵衛君。貴方はうちの子になりたい?今の家族を捨てて風雅を取れる?」
「取れるよ!風雅が居れば僕、もう何も怖くないもの。僕、ずっとずっとこの家の家族になりたかった…」
「ふふ!じゃあ今日から六兵衛はうちの子ね!獅子王丸君、六兵衛と学も一緒に連れて行って貰えないかしら」
「静江さん!?またそんな勝手なことを言って…」
「いいじゃない。旅は道連れ世は情け。せっかくできた繋がりをわざわざ断つ必要はないでしょう?」
 
静江はそう言うと学を呼び、床下から樽の程度の大きさの箱を取り出させた。
そこには山の形に積み上げられた銭が入っていた。
 
「これで三人分の学費にお釣りが来るくらいよね。むしろ学は学院の小間使いとして使ってくれて構わないわ。これでも薬師として十一年間穴丑をして貰っていたの。それだけじゃ飽き足らず随一の薬師として名を馳せてたくらいだもの。悪い話ではないはずよ」
「学院長に話をつけて頂く必要はありますが、此方としては人が増えることに何も問題はありません」
「…事前に情報収集はしていましたが随分と用意周到ですね。小暮城城主正室、静江様」
「“元”ね。私の肩書きは今やもう灰すら残らず燃え尽きて、今はただの農民だもの。
…さあ、暗い話はこれくらいにして。今日は皆で泊まって出立の準備をしてちょうだいな。
長い時間を向こうで過ごすことになるのだもの。準備にも時間をかけなきゃね」
 
静江はそう言うと立ち上がり、奥の部屋へと踵を返した。


そして夜が明け、出立の時刻が訪れた。
鳥や小動物の鳴き声だけが聞こえる静かな朝だった。
昨晩用意した荷物を詰め込んだ風呂敷を抱えながら、風雅達は玄関前に立っている。
 
「では行ってまいります」
「ええ、どうか健康に気をつけて。貴方は笑顔が似合う美丈夫なんだから笑顔を忘れずにね。困ったことがあったら学や他の人に頼ることも考えて、それから」
「し、静江さん!そう心配なさらなくても大丈夫ですから。…うまくやります」
「…そうね。他の誰でもない私の子だものね。六兵衛もいつまでも元気で。貴方達の健やかな成長を祈っているわ」
「俺は所用を終わらせてから追いかける。それまで二人を困らせんなよー」
 
抱きしめられたり撫でられたり、一通りの交流が終わると、風雅と六兵衛は一華と獅子王丸の近くへと向かう。
そしてその背中を静江と学が手を振りながら眺めている。
 
「では行こう。なるべく歩幅は合わせるが遅れないように。昨晩話した通り目的の場所まで子どもの足で三日ほどかかる」
「野営は私と獅子王丸が行うけれど、よく見て覚えて、自分達でも行えるようになりなさい」
「はい、よろしくお願いします。獅子王丸さん。一華さん」
「よろしく男女」
「よろしくお願いいたします一華さん!でしょうが!上手くいったら後輩になるんだから、貴方については言葉遣いについて道すがら指導していくから覚悟なさい!」
 
子ども達は騒がしくも賑やかに出発した。
やがて彼らの姿が見えなくなった所で静江は手を下ろす。
 
「…始めましょうか」
「御意に」
 
そう言った静江の後ろから火柱が上がる。
その炎は周辺の家も瞬時に巻き込み火柱はその大きさを段々増していく。
 
「隣の家の者は既に全員家宅の柱に縛り付けてあります。他の住民の処理も既に終えております」
「上出来ね。もう何年も準備していたことだけど昨晩で全て済ませてしまうなんて。本当、手際が良くていつも助かるわ」
「他でもない貴方の最期の命令でございますから」
「それにしてもあの人は恨みを買いすぎているわね。死んで尚被害をもたらすだなんて、本当に仕方のない人」
「当主様がお亡くなりになってから、恨みの矛先は奥方である貴方と跡取りであられた風雅様に向けられ。
この村に来てから数日も経たない内に御二方がご存命であるという情報が流出してしまい、御二方を殺すために敵国から数多の刺客がこの村に向かって放たれました」
 
学が手に持った柄杓を炎に向かって振りかざす。柄杓の入っていた桶には並々の油が入っているようで、更に火柱はその勢いを加速し、広範囲へと伸びていった。
獣や鳥の声さえも既に辺りには無く、住宅を燃やし尽くす炎の音だけが周辺に響いている。
 
「私達がこの村に住み始めて早幾年。いつ頃からだったかしら。住民全員が小暮家の残滓を狙う刺客に成り代わっていたのは。
自分の子どもに暗殺の英才教育を施しながら私達の殺害を企てたお隣さんには流石に度肝を抜かれたけど」
「ですが彼らは誰も殺すことはできなかった」
「子どもを使って近づこうとすれば意図的に避けられて。食事に毒を盛ろうとすれば、食材を自分で調達してきて料理を作っている風雅が邪魔をして失敗。
おまけに溺愛してたが故に、意図的に暴力を振るって暗殺家業から目を逸らさせた末っ子を風雅に取られるだなんて。ふふふ、お笑い草だわ」
「ええ、風雅様は認識しておられませんが素晴らしい危機感知能力の持ち主でございます。
この村でたった一人しか居なかった安全な子どもを見抜いたのですから」
「ふふふ、戦の最中にどこぞの女に騙されて油断した所を背中から真っ二つにされたあの男とは雲泥の差だこと。
さあ学、もう大丈夫よ。風雅達の後を追いなさい。お勤めご苦労様」

 

静江はそう言って笑うと学から桶を受け取り、燃え盛る我が家の中へと歩を進める。

 

「…しかし、本当によろしかったのですか。確かにこのままこの場所で親子の亡骸が見つかれば、小暮一族は滅んだと囁かれるでしょうが。
風雅様と同じように貴方も代役を立てればまだ生きていられるはずです。まだ、風雅様と思い出を作れる機会があるのに…」
「…いいのよ。片側が本物ならより説得力も増すでしょう?
それに、ずっとあちらで待たせてしまったもの…。あの人は罪深い人だったからきっと地獄にいるわね。一人寂しく燃え続ける地獄の炎は熱いでしょう。
ふふ、今まで散々な目に合わされたけど、それでも私の声が好きだって言って笑ったあの人のことを、私、今でも愛してるわ」
 
そう困ったような顔で微笑んだ静江の姿は、学が風雅の頭を撫でた時と同じ顔をしていた。
学の頭には走馬灯のように小暮一族と過ごした日々が流れていく。初めてお目通りをした日。勉強は嫌だと逃げ出されてしまった日。おねしょの罪を被せられた日。静江が祝言を挙げた日。風雅が産まれた日。初めて風雅が自分の名を呼んだ日。
自然と流れそうになる涙を誤魔化そうと、握った拳に力を入れる。
 
「…小暮一族に仕えてから我儘や理不尽ばかり言われてきましたが、小さい頃から貴方には一番手を焼かされました。
ご飯が硬いやら、歩き疲れて足が痛いやら。風雅様を出産されてこの村に来てからも貴方は我儘ばかりで…。いつまで経ってもお転婆で不器用で。それなのに大事な人にほど言いたい事を押し黙って耐え続けて…。本当に、親子揃って馬鹿ばっかりで…!」
「ふふ、いやねえ。学が居たから私は私でいられたのよ。小さい頃から頼れるのも我儘を言えるのも、貴方しか居なかった。そんな私の最後の我儘。
あの子達の人生に寄り添ってあげて。風雅ってば私に何も望まないんだもの。だから代わりに貴方が、私の分まであの子の我儘を聞いてあげて頂戴な。他人を幸せにしたら幸せになれるだなんて、馬鹿真面目に信じ込んでるぐらいだもの。きっと私以上に手がかかるわ。それに六兵衛も、あの子も一つの事しか見れない子だもの」
「はい!この命尽き果てる時が来ようとも、生涯をかけて風雅様達をお守りいたします…。必ず…!二人が幸せだったと、生きていて良かったと!そう思えるような人生を過ごさせてみせます!」
「ありがとう。私、貴方のこと大好きだったわ」

最愛の人が好きだと言ってくれた子守唄を歌いながら、頭から油を被り、炎の中へと歩いて行く女が一人。
己の敵には一切の容赦をせず、全ての敵を道連れに息子を守った母親であり、人懐っこい甘い顔の下に、致死量の猛毒を隠した毒蛇が如く苛烈な女。
傍から見ればただの狂人であるはずのその女。
見目麗しい白い肌が段々と爛れ、長かった瑠璃色の髪が少しずつ短くなって。
それでも笑顔を絶やすことなく、どんな化粧よりも紅く艶やかな姿で、真っ赤な死装束を纏いながら最愛の人の元へと旅立って行ったのだ。

住んでいた村すら見えなくなった頃、六兵衛は不意に立ち止まって風雅の裾を小さく引く。
 
「ん?急にどうしたの。六兵衛」
「風雅。どうしよう。…急にね、涙が止まらないの。何で涙が出るのかも分からないの。
僕おかしくなっちゃったのかな?ひぐっ…どうして僕、こんなに胸が苦しいの…?」
「よしよし。…大丈夫だよ。家を離れて不安になっちゃったのかな?手を繋いで行こうか。きっと不安が和らぐから」
「…うん。風雅。一生一緒にいてね…。僕を置いてどこか遠くになんて行かないで」
「うーん、じゃあ六兵衛が俺を忘れちゃうくらい好きな人ができるまでは一緒にいるよ」
「む、そんなのできる訳ないもん。ずっと風雅が一等だよ」
「はは、なら約束」
 
まだまだ小さな二人の子どもの手で小さな約束事を交わして手を繋ぎ、二人は再度歩き始める。
二人の目の前の男女は、その後ろから立ち上がる煙を見て怪訝そうな顔で何か話し合いをしている。
何も出来ない子どもが四人。まだまだ身体も知識も経験も未熟な不幸な子ども達。
後ろで起きている惨劇のことなんて誰も知りはしない。勝手で傲慢な大人が起こした悲劇だなんて、そんなことは彼らには関係のないことなのである。
 
「…さようなら静江さん。…ううん、母さん…」
 
(ああ、そういえば。俺に最初に化け物と言ったのは、母さんだった)
 
くたびれた女性の恐怖に引き攣った表情が、風雅の頭に浮かぶ。
静江と顔のよく似た、だが全く違う雰囲気の女性を風雅は以前母と呼んでいたことを思い出していた。

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