第一章 第三幕―初騒動―

風雅が教室に入ると、同い歳くらいの少年達が壁に貼られた紙を見て、自分の席はここだ。隣は誰だ。といった声が賑やかに広がっていた。

風雅もそれに混ざって自分の席を確認すると、一番後ろの窓際の長机に向かう。

既に風雅の隣には少し大人びた雰囲気を持った、濡羽色の髪をした少年が座っており、風雅の存在に気がつくと笑顔で手を振った。


「君、うちの隣の席だろう?うちは千歳。よろしく」

「俺は風雅。よろしく」


風雅は席に着くと千歳と握手を交わす。

紫紺の瞳が印象的な、こぼれるような笑みを浮かべる少年は、握手を終えると口元に手をやり、笑みを深めた。


「ふふ。さっき先輩の兄弟喧嘩に巻き込まれてたの見てたよ。災難だったね」

「ああ、やっぱり目立ってたんだ」

「あの喧嘩の弟の方、前に居るよ」

「…本当だ。同じ組になったんだ」


千歳の指の先を見ると、弐陽が俯いて自分の手のひらを膝の上で握りしめている姿があった。


(改めて見ると似てない兄弟だな)


壱陽はガタイが良く、まさに田舎の農民といった印象を抱いていた風雅は、弐陽の華奢でどちらかと言うと中性的な容姿を見てそんなことを思った。

よくよく周囲を見渡して同じ組になった人達の顔を眺めていると、その中のある人物が目に止まった。

風雅の視線の先には、赤紫の髪を深緋の大きな髪結い紐で括った女の子の姿があった。


「あの…女の子が居るみたいだけど」

「ん?ああ、あの子ね。君が来る前に話題になってたよ。女子がいるってからかわれて、真剣取り出したと思ったら『女の子より可愛い自覚はあるけど、笑い者になるつもりは無いわよ』って、笑った奴の喉元に刃先を向けてたから、話をする時は気をつけたほうがいいかもね」

「女の子より…ということは」

「うん。男の子みたいだね。ふふ、隣の弐組に肉体派が集まったから、壱組は逆に華奢な子が多いみたい」

「たしかに、獅子王丸先輩が戦闘の方向性で組み分けを決めたって言ってたからそのせいだと思…。えっと、千歳。後ろの子は?」


いつの間に居たのか。千歳の後ろには紅白の髪をした少年が、縮こまった様子で風雅を見上げていた。

風雅と目が合うと、小さく声を発して、直ぐに千歳の後ろに隠れてしまう。


「ああ、ごめん。この子は紅ヱ門。うちと同じ村の出身なんだけど、この髪色のせいで村ぐるみで忌み子だなんだって好き勝手されてたから、腹が立ってうちで引き取った子なんだよ。

そのせいで他人が苦手だから、いつもうちの後ろに隠れちゃうけど…仲良くしてあげてくれると嬉しいな。

学院に来たのもこの子が勧誘されたからで、うちはおまけみたいなものだから」

「へえ、よろしく、紅ヱ門。俺は風雅」


風雅が千歳にした時と同じように握手を求める。

だが彼は酷く驚いた顔を向けた後、体を震えさせてそれを拒んだ。


「あ…ごめっ、なさ…」

「この子今まで散々な目に遭ってきたから、きっと慣れるまで時間がかかると思うんだ…。

でも、まずはそれより紅!まずは隣の子と友達になるっていう。うちの言葉を忘れてないか?」

「…ひ!でも、ちぃちゃん。…僕、こわ、くて…」

「え?紅ヱ門君、ぼくのこと怖いの?」


先程まで教室を騒がしく走り回っていた。陰陽玉の飾りの付いた結紐で、黄赤の髪を首元で二つ括りにした男の子が、急に紅ヱ門の近くに寄ってきた。

先程の発言を考えるに、紅ヱ門の隣の席はこの子なのだろう。と、風雅は頷く。

紅ヱ門は大きく体を震えさせると、千歳の服を強く握りしめて泣きついた。


「えー、何その反応傷つく!ふっふっふっ、こうなったら意地でも仲良くなってやろーじゃん」

「ひぃ!ち、ちぃちゃん!」

「うん。仲良くしてやってくれ。君、確か嘉一だよね。うちもこれからよろしく」

「あれ?でも君さっきまで随分遠くにいたけど、よくここの会話が聞こえたね」

「うん!ぼく耳がいいんだ!君も仲良くしてね。ぼく嘉一!無事に成人して陰陽師の歴史を後世に残すために入学したんだ!」


嘉一の言葉に風雅は学院長の入学の挨拶を思い出す。


(そう言えば自由と安全を保証するってことを言っていたし、家や事業の跡継ぎになる子を安全に成人させるために、入学を決める人もいる訳か)

「へえ!俺は風雅。よろしく」


風雅が嘉一と握手をすると教室の扉が開き、大荷物を抱え、ふくよかな黒装束の男が入ってきた。

短な赤褐色の髪を括っている、狸のような雰囲気の男は教卓と思われる場所に荷物を置くと、にっこりと微笑んだ。


「いやはや申し訳ない。他の教員の皆さんとつい話し込んでしまいまして遅れてしまいました。さあ、席に着いて下さい。この後の動きを説明しますよ」

(黒装束…学と一緒だ。先生かな?)


男が手を叩くと生徒達はすぐに自分の席に着いた。

その様子を見て安心した顔をする黒装束の男は、教卓に手を置いて、全員に向かって声を発した。


「私はこの組の担当教師に配属された潔です。学院生活を送る際の疑問点や、勉強で分からないことがあった場合は私の方まで来て下さいね。

私の担当する授業は幻術といって専門的なことになりますから、ちゃんと基礎的な事が分かるように他の先生の授業もしっかり聞いて下さいね。

さて、貴方達に実技で使う装束を配りますよ。毎年装束は回収して、同じ物を後輩が着ることになりますから大事に使って下さいね。さ、前から取りに来て下さい」


潔が高麗納戸色の装束を、一人ずつ体格を確認しながら全員に手渡していく。


(共有のジャージみたいな物かな?家庭環境上、私服以外を用意するのが難しい子のためだろうな)


潔は装束を配り終えると、次に教本、筆記具、記名札。と、必要なものを配っていく。


「皆さん、配布物は行き渡りましたね。ではさっそく授業を…と行きたい所ですが、始める前に一つ話しておかなくてはならない事があります。

皆さん、昨日湯浴み場には行きましたね?」


潔が疑問を投げかけると、生徒達は揃って頷く。風雅も露や六兵衛と風呂に入ったことを思い出し、周囲に合わせて頷いた。


「湯浴み場のお湯を沸かしているのは、実は貴方達の先輩方です。湯浴み場だけではなく、学院にある施設の殆どは生徒が動かしています。

ですので貴方達も授業の一環として、そのお手伝いをお願いしたいと思っています」


そう言うと潔は一枚の紙を全員に配っていく。

『組合活動のまとめ』と題されている紙だった。そこには○○組、と区分けされた役職と、それぞれどんな仕事をするのか詳細に書かれていた。


(監査組…行事の主導、学院長の補佐。及び金銭管理。

夜廻組…学院内に異常がないか夜回りを行う。(昼は戦闘訓練)

設備修繕組…施設の稼働、施設の修繕。

器具管理組…道具の調達、道具の管理。

生物飼育組…動物の飼育。植物の管理。

補佐組…上記全ての補佐…か。

食事処を自由に使うとしたら設備修繕組なんだろうな。だけどより多くの人を幸せにするなら、他の人と関わりが多くなる組合に行くのが一番いい。それなら…)

「ふぉっふぉ、どの組合も人数不足で大変ですから、放課後になったら先輩方が皆さんを勧誘に来るはずです。今日一日ゆっくり考えて、明日になったら私の所まで持ってきて下さい。

では座学の先生をお呼びしますので、私はこれで失礼しますね」





「…これで今日の授業はお終いです。初日ですから帰りの挨拶もそこそこにしましょう。

では座学の先生が教えたことを忘れないように、しっかりと部屋で復習をしておいて下さいね。

それと、明日からは座学だけではなく実技も入ります。疲れを残さないよう、頑張って下さい。では解散!」


潔がそう言って姿を消すと、大勢の足音が廊下を走って風雅達の教室までやってくる。

そして勢いよく扉が開き、そこから先輩だと思われる人達が同級生達に群がって行った。


「そこの君!頭回りそうだね!器具管理組に入らない?火器の管理なんかもしてるんだけど、そういうのに興味あったりもしない!?」

「体力つけるなら断然夜廻組ー!戦闘技術を身につけるのにうってつけ!」

「生物飼育組に入ると薬物知識と毒物知識が身について、ついでに多種多様な動物と仲良くなれるよ。ほら見てこの肩に乗ってるの僕が飼ってる毒蜘蛛」

「設備修繕組に入るなら今!今ならなんと、学院内のお店の商品何でも三割引!」

「おい待て設備修繕組、ずるくないかそれ!?」

「うるせえ!言いたきゃ一回魚屋の壁修繕してみろ!隣の肉屋の臭いに混じって地獄なんだぞ!店の人達に愛されてる俺らの特権だ特権!」

「監査組だ!そこの君。ああいう阿呆な奴らの仲間にならない為に監査組入らない?」

「「「「ふざけんな監査組!!」」」」


千歳も紅ヱ門も、風雅以外の全員がすぐに先輩方に捕まって騒ぎに巻き込まれる。

風雅が逃げられる場所を探そうと周囲を伺っていると、そんな風雅の存在に気が付き、先輩の一人が近づいてくる。


(隣の組からも同じような騒動が聞こえてくるし、六兵衛に声をかけるのは無理。窓から出れば…でも外にも人がたくさん。何か気を紛らわせるか、一時的に動きが止められれば…あれは!)

「そこの瑠璃色の髪の君!よま…」

「すみません先輩。俺、もう入る所は決めてしまったので失礼します!」


風雅は窓枠に立つと後ろに向かって体を倒す。

目の前の驚愕の表情をした顔がだんだん見えなくなり、今度は視界に見覚えのある翡翠色の髪と、真っ赤な髪飾りが姿を現す。

その翡翠色の少年は、驚いた顔で手持ちの虫取り網を振り、倒れる風雅を受け止めた。


「保彦先輩!そのまま俺を補佐組の所まで連れてってくれますか?」

「ん?誰か分からないけど、いいよ。何するか忘れたし」


そのまま虫取り網に風雅の尻を収めたまま、保彦は脱兎の如く、その場から逃げ出した。

予想外の出来事にその場の全員が固まってしまった状態から、一人の先輩が正気に戻り、顔を真っ赤にして窓から顔を出す。


「保彦ー!お前後輩が落ちてきた衝撃で記憶吹っ飛んだだろ!!戻って生物飼育組の勧誘手伝え、馬鹿ーー!!」





教場の左奥にある部屋に来ると、保彦は虫取り網を下ろした。


「よいしょ、っと。はい、ここが補佐組の部屋。じゃあ僕もう戻るね。生物飼育組で飼ってる毒蛙の柚子の餌やりの時間だから」

「はい。ここまでありがとうございました。おかげで無事にここまで来れました」

(既に組合に入ってる先輩に捕まってる状況なら、勧誘が完了してるっていう認識になるかも、と思って行動しただけなんだけど。

今思うと、虫取り網に人が入ってるっていう状況に反応できてない人が大多数だった気がするな…)

「あ、帰る前に一つ聞いていい?」

「はい。何ですか?」

「僕が記憶障害だってこと、君に話したことある?」

「いえ。ありませんでした。だけど露先輩と保彦先輩が話をしていた時、随分と短期的に物事を忘れることを当たり前に受け止めてましたから」

(その時は虫取り網の方に気が行っていたけど、三年通ってる自室までの道を忘れる人は居ないだろう)

「じゃあ君は僕がその前に何をしようとしていたのか忘れることに賭けたんだ。うん、なるほど。君は意外と勇気があるね。

次に会った時にまた僕は君を忘れてるだろうけど、覚えておけるようにちょっとだけ頑張ってみようと思うよ。じゃあ…えっと、君誰だっけ?」

「はは。俺は風雅です。保彦先輩」

「うん。じゃあまたね。風雅」


手を振って踵を返し、保彦は通ってきた道を戻って行った。


「さあ、入ろう」


風雅は補佐組の部屋の扉を数度叩く。

足音が扉の先から向かって来ると、しばらくして扉が開かれた。

その先でクセの強い蒲葡の髪をした、背の高い青年が風雅を見下ろす。


「えっと…新壱年生…?ど、どうしたの?迷子…かな?」

「初めまして。補佐組の活動内容についてお聞きしたくて来ました」

「うぇ?ほ、ほんとに!?そ、そそそ、それはど、どどど、どうしよ。

え?君もしかしてあの包囲網を掻い潜ってこ、ここまで来たの?」

「はい。保彦先輩に手伝って貰ってここまで来ました」

「うわあ、凄いね!で、でも今日は人を通すなって凪斗君に言われてるしなあ…」


どうしよう、と混乱して上の空になっている隙に、彼の足の脇を通って部屋の中へ侵入する。

蒲葡色の髪の青年は猫背だったことに加え、風雅と話をするのに屈んだ状態だったため隙間が大きくできていた。


(すみません、名前も知らない先輩。後で謝ります)


風雅は一度手を合わせて謝ると、部屋の奥へ進んでいく。

周囲を見渡すと、そこらに放置されたからくり人形や試作品の機械がギシギシと音を立てている。


(保彦先輩のオーバーテクノロジー気味のあの虫取り網って、もしかしてここの人が作ったのか)


そして部屋の奥に、銀鼠の髪の小さな青年の姿が見えてくる。

その青年は後ろを振り返り、顔に掛けていた現代で言うゴーグルの様な物を外した。


「…あ?誰だアンタ?」

「えっと、初めまして。風雅です。補佐組の活動内容についてお聞きしたくて来ました」



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