第一章 第七幕―食事処―
あれから数日の準備期間を得てから、無事に食事処の運営が開始された。
お昼は二種類の日替わり定食を販売し、夜は洋食中心で常設メニューが四つ。夜に風雅が台所に立てる日は、日替わりメニューがそこに追加される形で経営することになった。昼夜問わずご飯とパンは選べる式という所が、元平成人の風雅らしいと言えるだろう。
また、食事処の運営を風雅が行うという話と、人手が足りないため手伝いを募集するという話を聞いて、何人かが名乗りを挙げた。
風雅と同じ組から紅ヱ門。参年壱組の壱陽。風雅の担任である潔。風雅とは面識の無い弐年弐組の誠。
この合計五名での食事処の運営が開始されてから、三日が経過した。
生徒が運営する初の飲食店であり、教場から一番近い場所に存在していると言えば、お昼時の忙しさは容易に想像できるだろう。
(肉じゃが定食肉じゃが定食海鮮定食肉じゃが定食海鮮定食海鮮定食肉じゃが定食海鮮定食海鮮定食…目が回るな!)
「風雅君、海鮮定食の注文追加です!」
「はい!壱陽先輩、海鮮丼追加お願いします!」
「分がった!紅ヱ門君、山葵の数足りでる?」
「ぅひぃ!た、足りてますぅ…!でも、海苔が!…ひぐ、あ、あと五人前も作れば無くなりますぅ!」
「私がちぎっておく」
「ごめんなさい、頼みます誠先輩!」
潔が注文を取り、その内容によって、肉じゃが定食担当の風雅が出来上がった肉じゃがを盛り付け、海鮮定食担当の壱陽が魚をさばく。
肉じゃがの付け合せのお新香を用意したり、海鮮丼の最終盛り付けを紅ヱ門が行い。味噌汁の用意と、ご飯とパンの用意、及び雑務を誠が行う。
そして完成した料理を、最後に潔が配膳してお金を受け取るという流れを行い、忙しない昼のピークを乗り切る。
怒涛の時間を超え、潔が授業に向かうと生徒達は一斉に肩の力が抜ける。
「さすが育ち盛り…分かってはいたけど皆食べる量が凄まじいな」
「風雅!肉じゃが定食ちょうだい!」
「あたしは海鮮定食をお願いしますわ」
魂が抜けた様な状態になった風雅の元へ、全身ぼろぼろになっている六兵衛と奏兵衛がやってくる。
二人の腰に刺してある模擬刀によって、修練場で剣術の訓練をしてきたのだという様子が見て取れる。
(ずいぶんぼろぼろだな。多分俺との約束守ろうと思って頑張ってるんだろうし、六兵衛に聞いてもはぐらかすくらいだから、つっこむのも野暮かな)
「時間をずらして来たんだね。すぐ出すから待ってて」
「うん。一等忙しい時間帯に来ちゃうと風雅とお話もできないもの」
「だ、そうよ。愛されてるじゃない。あたしはそれに付き合わされただけだけど」
「はは、面倒かけちゃってごめんね奏兵衛ちゃん」
手伝いに来てくれていた人達に休憩に入るように声をかけてから、風雅は注文の品を作る。
二人の注文の料理が完成して、長椅子に座る彼らに直接手渡した辺りで、見知った珊瑚色が食事処に入って来た。
「おい、風雅」
「弐陽。君も注文?」
「ああ。壱陽が作業を手伝ってる品はどっちだ?」
「今日は海鮮定食を作って貰ってたけど、今は休憩入って貰ってるからどっちも俺が作るよ」
「…そうか。では海鮮定食を頼む」
壱陽の姿を睨みつけたかと思うと、弐陽は食事処の長椅子に腰掛ける。
先んじて海鮮丼をつついていた奏兵衛が箸を止めて、弐陽のそんな姿に対して心底嫌そうな顔でため息を吐く。
「…どこの家でも弟っていうのは厄介で面倒くさいものね。あそこまで拗らせてるのも珍しいけど」
「そう言えば奏兵衛の家って弟居るんだっけ」
「そうよ。あたしは三兄弟の長男坊で、性癖が歪んでる面倒な末の弟が一人と…今もまだ寝たきりの弟が一人ね」
顔を歪ませて奏兵衛は小さく呟く。話すのも辛いのだろう。深く聞かれる前に海鮮丼を口内にかっこんだ。
「よく噛まないと太るよ?」
「あたしは運動するから良いの。あんたも少し太りなさいな。痩せ過ぎは駄目よ。あんたってばそこらの女より可愛い顔してるんだから有効活用なさい」
「やだ。僕は風雅に好かれればそれでいいもん。今の僕の体重が風雅の好みだもん。女の子になった時に風雅の好みじゃなくなったら嫌だもの」
「…風雅さん?」
「うん…奏兵衛ちゃんが言いたいことは凄く分かるんだ。凄く分かるんだけど、真に受けないでくれるとありがたいかな…」
弐陽に出来たての海鮮丼を届けてから、厨房に帰るまでの通路で、明後日の方向を見ながら風雅は答える。
「…まあ六兵衛のことだもの。思考回路がとっちらかってると思うことにするわ」
「む。酷い。でも奏兵衛のそういうカラっとしたとこ僕は好きだよ」
「そう。あたしも世界で一等可愛いあたしのことが大好きよ」
「さすが。歪まない」
(あの二人が会話してると女子会みたいだな…。あ。はは、もう一人華やかなのが来た)
風雅が入口を見ると、長い髪を揺らしながら千歳がやって来た。
厨房が見える席に座ると、指を一つ立てながら発言する。
「やあ風雅。肉じゃが定食一つお願い」
「了解。折角だし紅ヱ門を呼ぼうか?」
「ううん。大丈夫。ふふ、うちが居るって分かったら緊張しそうだし。ここから見てる」
壱陽に頭を撫でられて椅子から転げ落ちそうになっている紅ヱ門の姿を、微笑ましそうに千歳は眺める。
その姿が風雅を眺めている静江と重なって、少し故郷に帰りたい気持ちが風雅に湧いた。
「千歳は紅ヱ門が好きだね」
「え?そりゃあ当然だよ。だってあんなに可愛い生物他にいないだろう?うちに学費持って貰ってるのが悪いからって、自分が出来る仕事として風雅の手伝いを選んでさ。うちに貢献したいって言った時のその顔がもう、初々しいわガチガチだわで、もー、愛おしくってさ!」
「はは、その時の状況が頭に浮かぶよ」
嬉しそうに頬を染めながら語る千歳に、風雅も思わず楽しくなって笑い返す。
「ふふ、紅はうちの宝物だよ。まあ、時々無いものねだりで、嘉一みたいな行動性をあの子に求めちゃって喧嘩したりもするけどさ」
「へえ、千歳と紅ヱ門って喧嘩したりするんだね。仲がいい所しか見てなかったから考えられないや」
「長い付き合いだからね。そりゃあ喧嘩もするよ。最終的にうちが紅の涙に負けちゃうのが常なんだけど。まあ、それもじきに終わるのかもしれないな」
結局椅子から転げ落ちた紅ヱ門を、焦った面持ちで壱陽が起き上がらせて背中をはたく。そんな様子を眺めながら、千歳が寂しそうな顔をして、そう呟いた。
「どうして?」
「今まであの子の世界にはうちしか居なかったけど、こうやってどんどん外に出ようとして、あの子はあの子の世界を広げようと頑張ってるから。そのうち一等がうちじゃなくなる日が来るよ。それを横で眺めるのが楽しみでもあり、寂しさもあって…複雑」
「じゃあ千歳も寂しくならないように、他にも一等を見つけないとね」
「他に…?」
「うん。千歳もたくさん友達を作って色んな所に楽しみを作ればいいよ。そうしたら紅ヱ門が君から離れて行っても寂しくないと思うな」
風雅がそう言って、千歳の目の前に肉じゃが定食を置く。千歳は少し考えた後、晴れ晴れとした表情で微笑んだ。
「…そっか。考えたこともなかった。ありがと、試してみるね。いただきます」
千歳との会話が終わった後。風雅がピーク時に溜まった皿を洗っていると、白藍の髪を、江戸茶色をした蝶結びの紐で結っている誠が風雅の肩を叩いた。
「風雅、手伝う」
「誠さん。助かります」
「元々私の仕事、気にしないで」
表情が硬い誠が少しだけ微笑むと、風雅の隣で皿洗いを始める。
「そう言えば聞きたかったことがあるんです。俺と誠先輩って元々接点がないじゃないですか。どうして食事処のお手伝いを申請してくれたんですか?」
「…久次郎が」
「久次郎先輩…ですか?」
風雅は名前を聞いて少し考える。久次郎と言えば、菜の花畑で風雅を見て、悲しそうな顔をして逃げ去って行った人物だ。
「君を助けてあげてって」
「…俺を?何でですか?」
「胸に、ぽっかり穴が空いてるって。顔が見えないくらい、大きな。久次郎、秋助より大きい穴、初めて見たって」
穴。そう言われて風雅は自身の胸に手を当てる。白い部屋に居た時と違って、今の風雅のそこは脈打って暖かい。
(生きてる…よな。穴?何の穴なんだろう。何かの比喩かな?…何にしても誠先輩から詳細を聞くのは違うよな。又聞きで勘違いをしても仕方が無いし、本人からしたら聞かれたくないことかも知れないし)
「久次郎、優しいから。ずっと苦しそう。君を助ければ、久次郎が救われる。そう、思った」
「はは、誠先輩は久次郎先輩のことが好きなんですね」
「彼は私の太陽だから、笑顔でいて欲しい」
そう言って誠は頷きながら幸せそうに笑う。
その会話の様子を、海鮮丼を食べ終わった奏兵衛が頬杖をつきながら、じっと見つめていた。
「ねえ、六兵衛。あんたは神様っていると思う?」
「宗教的なこと言うね。僕は信じてないけど、困ってる人に手を差し伸べてくれる聖人を神様って言うなら、風雅が僕の神様だよ」
「そう。あんたもそう言う所、歪まないわね」
「だって僕が困ってる時に助けてくれたのは風雅だもの。そう言う奏兵衛は信じてるの?」
「ええ、信じてるわ。と言うより存在を確信してる。だから、あたしはそれが死ぬほど嫌い。大っ嫌い」
諦めたような、それでいて泣き出してしまいそうな顔になって、拳を握りしめた奏兵衛は立ち上がる。海鮮定食の皿を厨房脇に持っていくと、ご馳走様と言って食事処を出ていった。六兵衛もそれに続いて行く。
そしてその入れ替わりで山伏の寅が厨房に入ってきた。
「よお、弁当を回収に来たぞ」
「すみません寅さん。今作っちゃうので少々お待ち下さい」
休憩に入っていた人達に声をかけると、一緒に弁当をこしらえる。これを寅が知り合いを通して外で売り、人件費を抜いた料金が風雅達の売上に加算されるという話になっていた。
昼に残った余りの食材を使い切るための処置である。
ざっと20人分程のお弁当を作り終えると、一つ一つ布で包装してから寅に手渡す。
「じゃあ後は頼みます」
「任せい。じゃあ行ってくるわ。あ、そうじゃ。風雅ちゃん」
「はい。どうしましたか?」
「眼、儂がくり抜くまで綺麗にしとってね。じゃあの」
鼻歌交じりに弁当を背負うと寅は去っていく。その発言の不穏さに、風雅の全身に鳥肌が立った。
(そう言えば平穏過ぎて忘れかけてたけど、この人俺の目玉を狙ってる変人だった。でも何でまた急に…)
風雅のその疑問は、後に解決されることになる。
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