第一章 第六幕―壱陽―

「…謹慎をくらってしまいました」

「…だろうなあ」


露に風雅が連れ出されてからひと月が経過しようとしていた頃。放課後の補佐組の部屋で、正座のまま風雅と凪斗は向き合う。

呆れた顔で凪斗は風雅の額に貼られた『謹慎中故、補佐組活動休止』の紙を剥がして捨てた。


「優秀さを見せつけろとは言ったが、優秀過ぎて他人の仕事取りまくってたら当然そうなるわな」

「あ、そっか。組合の活動って授業の一環なんでしたよね。仕事を取りすぎると他の人に教育が行き渡らないから…完全に盲点でした」

「まったく。なんの為に露が無理矢理連れ出したと思ってんだ。アンタを休ませてその間の仕事を後輩に割り振るためだぜ?

一を聞いて十を知るのが乱波ってもんだ。理解できなかったアンタの落ち度だ。しばらくここで灸を据えるこったな」


そう言うといつもの様に凪斗はゴーグルを装着し直して机に向かい、手が止まっていた作業を仕切り直す。

風雅はその手元をじっと見つめる。


「そういえば凪斗先輩はいつもここで研究や開発をしていますが、学院内でどうやって研究資金を稼いでいるんですか?」

「あ?なんだ藪から棒に。アンタ金がねえのか?」

「…えっと。恥ずかしい話なんですが、正直な所自分と六兵衛の学費で手一杯で。今は学さんが教員として働いているので、払う必要が無くなった学さん用の学費を切り崩してるんです。

本来なら人の学費になっていたはずのお金に手を出しているのが心苦しいというのと、正直自分でお金を稼ぐ手段がないので困り果ててまして」


風雅はほとほと困り果てた顔で頬を数度掻く。


「なるほどな。俺様は発明品を生徒に売って資金にしてる。製品に自信はあるが、自分で売った所で嫌われ者の俺様は遠巻きにされて終いだから、弘栄に売り子を頼んでな」

「それって学院内でお金が巡ってるってことですか?それに、凪斗先輩の技術って結構とんでもないと思うんですが、そんなに簡単に流通させて大丈夫なんですか?

その、技術を盗用しようとしてる方とかいらっしゃったりするんじゃ」

(高度経済成長時代もびっくりの開発成果は流出したらまずいと思うけど…)

「当然外に働きに出てるやつらも多くいるぜ。休日になるとこぞって外出してる奴らの中には遊びに行く他に、金を稼ぎに行ってるのも少なくないからな。

それに心配しなくとも俺様は簡単に技術を流出なんかしねえよ。俺様のかわい子ちゃん達は俺様以外の奴が解体しようとした瞬間に爆発四散するようになってる」

「さらっととんでもない事言ってますね!」

「シッシッシッ、あたりめえだろ。盗人は万死に値する。それに俺様の食い扶持が無くなったら困るしな。

風雅もなんか得意なことの一つくらいあるだろ。そいつで金を稼ぐ方法を模索するのが一等良いんじゃねえか?」

「…俺の得意なことですか」


凪斗にそう言われて風雅は思考を巡らせる。

二つある内の得意なことの一つは、既に謹慎を受けてしまった。残る風雅の答えは一つだった。


「食事処の権限って、生徒が勝手に貰えたりしますか?」





「面白い。許可しよう」


キセルをふかしながら小五郎は、風雅が用意した食事処の使用許可証に花印をする。

そのあまりにも軽い返事に、学院長室を訪れてから強ばっていた風雅の肩の力が抜けた。

その様子を、大吉印の大福を頬張りながら座っていた山伏の寅が眺めている。


「へ?あ、ありがとうございます!学院長先生!」

「生徒が食事処の権限を持った前例は無いが、そもそもこいつはお前さんの得意なことだ。

自由にやるといい。商店とは違う食材の調達先が別途いるだろうが…寅。お前さん伝手があったろう。任せる」

「合点承知之助じゃ。かわええ子の頼みじゃ断れんしのお。任せとき」

「初期費用は俺が持とう。食事処の運営が軌道に乗ったら少しずつ返せばいい」

「何から何まですみません。ありがとうございます。精一杯頑張ります!」


風雅はそう意気込むと、一礼して使用許可証を受け取り、部屋を出て行く。

風雅が立ち去っていったことを確認し、小五郎は口を開いた。


「寅。お前さんまだ物欲しそうな顔してるが、風雅に手を出すなよ。うちの奴らが何するか分からんぞ」

「だ阿呆、身に染みて分かっとるわ。この学院に喧嘩売るような真似はせんわい。乱波の技術を持った連中全員相手取るなんざ、この山伏の寅ちゃんでも多勢に無勢で普通に負けるわ」

「なら良し。俺が表立って生徒に関わると獅子王丸が拗ねる」

「反抗期の息子が居ると大変じゃのお。ま、小五郎ちゃんが動けない時のための儂じゃて。じゃ、早速先刻の件を回してくるわ」

「あい分かった。最後に寅。一つ聞いてもいいか?」

「なんじゃあ」

「山篭りと徒競走どちらに利があると思う?」


目の笑っていない表情で小五郎は寅にそう声をかけた。




学院長室での会話が終わった直後に、風雅は自室に寄ってから食事処に行く。

そして早速手持ちの材料を使って調理を始めた。


「今までは一家分作れればよかったけど、ここで作るなら大量生産が可能な物にしないと…。販売システムも作らないといけないし、事前に作り置きができてすぐ皆に分配出来るものが一番いいよな。でも皆食べ盛りだし、かといって肉ばっかりってのもいけないし…」

(そういえば食材を大量に消費するのって、そもそも良いのかな?だってこの世界って、戦国時代だったよな)


深く考え込む風雅を他所に、食事処の扉が勢いよく開く。

風雅が音のする方へ顔を上げると、顔中を土だらけにした壱陽が野菜をカゴ詰めにした荷物を持ち運んでいた。


「あれ?こだ所で会うなんて偶然だべね。おめも自炊しに来だんだべか?」

「あ、壱陽先輩。ええ、実は生活費を稼ぐために食事処の運営を始める話になりまして。その練習に来たんです」

「へえ!凄いでねぇが。風雅君は料理得意なんだって聞いでるべ。楽しみにしてるべ!」


風雅は壱陽の大きな手に頭をわしゃわしゃ撫でられる。

その土の匂いの染み付いた大きな手に、青臭い学の手を思い出して少し懐かしい気持ちになる。

ありがとうございます。と伝えると、不意に風雅は露の言葉を思い出した。


「そういえば壱陽先輩。壱陽先輩って野菜とか味噌とか自作していらっしゃるんですよね」

「ん?ほだ。よぐ知ってるね!あ、分がったべ。露ぢゃんが言ったんだべ。

ははは、もう作るのが趣味になっちまってでね。食材を買い忘れだ生徒用さ、よぐごうやって寄付しに来るんだべ」

「あ、もしよかったらその野菜使ってもいいですか?どうしても金欠だったり、自炊を続けたい人もいると思うので一部だけ使いたいんですが」

「いいよ!有効さ使ってぐれるんだら何だっていいべ!」


壱陽のその言葉に礼を言って、壱陽の持ってきた野菜や味噌などを拝借すると、風雅は味噌汁を作り始める。

包丁を扱う風雅の手元を壱陽はじっ、と見つめた。


「…はー、手際がいいべなぁ。いづもやってるんだべなぁってのが見で取れるべ」

「ありがとうございます。六兵衛がいつも美味しそうに食べてくれるので作るのが趣味になってしまってまして」

「うんうん。自分の行為を喜んでぐれる人がいるっていうのはいいごどだべ」


そう言って壱陽は色とりどりの野菜を机の上に置いていく。トマト、人参、南瓜。そこには紫キャベツ等も揃っている。

風雅は目を丸くしてその様子を見ていた。


「どうした?なんか気になるごどでもあったべか?」

「いえ、いつも不思議だったんですが使っても使っても食材が無くならないというか…この学院って食材調達はどうしてるんですか?」

「…はぇ?うんとおがしなごど聞ぐなあ。ああ、でも風雅君ぐらいの歳だど知らねぇごどもあるが。

日本各地の海で毎日どごがらが山ほど食材が運ばれでくるんだべ。それがいづがら始まったのがってのはおらは知らねぇげんとも、食糧難を理由さ戦が絶えねがったのを、神様が見でいられねぐでお恵みを下さったっていうのが一般論がな」

思いがけない言葉に風雅の体が硬直する。当然のように壱陽が笑って話す内容の一欠片も風雅は理解が出来なかった。

「で、出処不明ってことですか?」

「あー、まあ確がにそうだべね。でももう何年もずっとその食料を使い続げでるけれど誰も体調不良者なんか出でねぇんだ。むしろこの神の恵みを使わねぇごどは不敬な事だって考えられでるべ。

まあ、おらは神様は信じでねえげどさ。おらもこの食材の種を使って品種改良どがしてっから、なんも文句は言えねえなあ」


そう言って壱陽が風雅の口に切ったトマトを放り込む。この時代で考えたら有り得ないだろう糖度の高い甘い味が、風雅の口いっぱいに拡がった。


(…不思議な話だけど、そうか。それがこの世界の常識なら受け入れるしかないのかな。ゆっくり慣れていくしかない)


口を動かしながら頷く風雅に、壱陽が鉄板を指で叩きながら声をかける。


「これ、どうしたんだべ?調理道具も見だごどの無えものばっかりでおもしぇなぁ」

「ああ、それは前に凪斗先輩に制作をお願いしたんです。こういうのが欲しいってお伝えすると楽しそうに制作されるので、ついいろいろ頼んじゃいました」

「へえ。凪斗君さ慕われる後輩がでぎで良い事だべなぁ。羨ましいべ」

「はは、でも壱陽先輩にだって弐陽が居るじゃないですか」


風雅がそう言うと、壱陽は動きを止めて少し顔を曇らせた。


「…そだこどねぇよ。おら、弐陽さ嫌われだがら」

「え?」

「おら、わがねなあんにゃだがら。弐陽の理想のあんにゃになれねがったんだべ。それに弐陽の方が乱波さ向いでる。気がづいぢまったがら、前よりもごうやって野菜作りにのめり込んでしまって…ごめんなぁ。変なごど言っちまったなぁ。忘れでぐれ」


ささくれだらけの岩のような手が風雅の頭を数度撫でる。無理やり繕った笑顔が痛々しく思えて、風雅は壱陽の袖を引いた。


「…でも、あの兄弟喧嘩の時はそんな風に見えなかったです。何か思い違いがあるのでは無いですか?」

「いや…弐陽はもうおらのこどは嫌いだべ。だっておらの事を追いがげで来だあの子をごっぴどぐ叱ってしまったべ。その上、弐陽の理想のあんにゃ像ど違っておらは木偶の坊だったんだもの。

おらの全でを奪っていったあの子さ、どだ顔をして会えばいいのが分がらねぇ。まだ、酷いごどを言ってしまいそうだ。わがねなあんにゃだ。弐陽のごど大好ぎなのに、胸が苦しくて、顔が見れねぇんだ」

「壱陽先輩は木偶の坊なんかじゃ無いです。こうして俺の事を気にかけてくれたり、優しい良い先輩ですよ」

「ありがとうね。げんとも、優しいだげじゃわがねなんだよ。そんじは乱波にはなれねぇ。知ってるんだ。…弐陽がね、おらの同輩や先輩さ喧嘩を売ってるって話を聞いでね。助げに行ったごどがあったんだべ」


風雅が相槌をうちながら話に耳を傾ける。


「おらが着いだ頃には弐陽、全員倒しちまってだ。ははは、おらはそいづらの足元にも及ばねがったのに、努力しても努力しても追いづげねがったのに…。なんでだべなぁ。なんでこらほど惨めな気持ぢになるんだべ」


今にも泣きそうな顔をしている壱陽になんて言葉を返していいのか、風雅には分からなかった。


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