第一章 第五幕―茜色―
「梅 一輪 一輪ほどの あたたかさ。作、服部嵐雪。
そんな素敵な日に影に籠っていては、勿体ないという物さ。私の共を頼んでもいいかい?」
組の活動が開始してから早数週。器具管理組の手伝いで本の陰干しをしている風雅の元へ、そんなことを言いながら露が手を差し出した。
その両脇にぴったり張り付いて、一寸も離れようともしない二人の人物に風雅は少し苦笑いをする。
「…両脇の御二方はどうするんですか?」
「勿論自分は露先輩と一緒に行く…清兵衛は?」
「わはっ!それ僕に聞くかなー。当然!行かないって言う選択肢無いでしょー!非番の日が露先輩と直人と被るなんて、今日を逃したら向こう三ヶ月はないじゃん!
あ、初めまして!僕、清兵衛!直人と同じ弐年弐組!」
「はい。俺は風雅です。よろしくお願いします」
蝋色の長い髪の先輩は、露の服の裾を掴みながら、にへらと笑う。
姿勢を正した露は持っていた扇を開いて口元へと持って行く。
「健全なる精神は健全なる身体に宿るという言葉もある。まあ要するに、根を詰めるのも良いけれど、休まな過ぎは体に毒だということさ。
本来なら配属された組合で非番をそれぞれいつにするか組頭を中心に決めるけれど、君は放っておいたら永遠に休みを取らなさそうだからね。
今日が君の非番という事にしてしまって、その代わりの気晴らしを勧めに来たという訳だ」
「なるほど。でもまだ仕事が残ってますし、俺が居ない方が先輩方は楽しめると思うので失礼し…」
お辞儀をして断ろうとした風雅を掴み、そのまま片手で俵抱きをすると露は歩き出した。
「よし、では行こうか。仕事の心配は要らないさ。器具管理組の組頭である壱陽には、先刻に矢羽根を飛ばしておいたからね」
「えっ、あの!ちょっと!」
「露先輩!山に行きましょうよ!花畑に菜の花が山ほど咲いてるんですよー!」
「露先輩。山は面倒です。海にしましょう。先日、玉虫色の貝殻を見つけました」
「なるほど、では季節が終わってしまう前に菜の花を見に行こうか。貝殻は夏に海水浴も兼ねて行くほうが楽しいだろうからね。季節には季節に合った楽しみを見出す方が風流だろう」
「いや、そういう事ではなくて!お、降ろして下さーい!」
風雅達が山に着き、道なりにしばらく進んでいくと、山吹色の菜の花が見渡す限り一面に拡がっている空間に出た。
「凄い…」
「綺麗だろう。壱陽が個人で管理している花畑だ。四季に合わせて咲いている花を変えていてね。私はここに来るのが好きなんだ」
「壱陽先輩がお一人で管理されているんですか?」
「そうだよー。それに加えて個人で持ってる薬草園と毒草園と、あとー…何あったっけ?」
「野菜園の管理と、漬物造りと味噌造りも趣味でやってたと思う」
「彼から貰うものは品質が良くて、私もよく贔屓にしているんだ。…その素晴らしさが分からない者も多いけれどね」
露の言葉に風雅は記憶を辿ると、ここ数日数度見た最上級生に絡まれて、辛そうに笑っている壱陽の姿を思い出した。
壱陽の弟である弐陽が、その様子を見て酷く罵倒していた姿を同時に思い出して、風雅の胸が重くなる。
(あの兄弟、あれからまた溝が深まったみたいで見てられないんだよな…。何とかできればいいけど、俺はまだ弱いから先輩相手に喧嘩を売ることもできないし。どちらかの相談相手になれる仲でもないし)
「さて、許可は得ていることだし、折角来たんだ。遊び盛りは遊び盛り同士で遊んで来なさい。ちゃんばらでも首引きでも、相撲でもいいさ」
「よーし、じゃあ僕この中で一等質のいい菜の花探して露先輩に献上しますねー!」
「奥に白詰草の群生地もあるので、自分は四つ葉を見繕ってきます」
「えっと、俺は…」
「一緒に行っておいで。私はここで和歌を書いているから」
露に背中を押されて、風雅の両手を直人と清兵衛が掴んで菜の花畑を走りだす。
山吹色の花弁がひらひら舞って、風雅達の装束も染められていくほど、騒いで遊んで転げ回って。
黄昏時を過ぎた辺りで体力がなくなり、三人で菜の花畑に寝転んだ。
「…つ、つかれた…」
「夜にこの装束を洗うと思うと今から凄く面倒」
「それ、直人は面倒くさがって放置するでしょ?洗う羽目になるの僕じゃん。もー」
「お二人は随分仲がいいですけど、学院に来る前から一緒に居たりしたんですか?」
「ううん、むしろこんなに話すようになったのは去年の秋ぐらいからかなー。露先輩と出会ってから僕も直人も変わったから」
「うっ…その話をするのなら面倒だけど、自分は白詰草の方で花冠でも作ってくる」
「わはは!本当直人は昔の自分嫌いだよねー。ま、僕も自分なんか大嫌いだけど」
直人が一人立ち上がり、白詰草の群生地に足を進めて去っていく。
その様子を一瞥してから、清兵衛はぽつりぽつりと話し始めた。
「一個前の最上級生がさ、本当にろくでもなくてさ。弱い者いじめはするわ、見境ないわで大変だったんだ。
僕は僕でとんだ糞真面目野郎で、正論で相手を丸め込もうとしちゃいがちだったから、すぐ標的にされてね。いじめられたら仕返して、反論して。またいじめられて繰り返して…って感じでさ。毎日ボロ布みたいになってた。
それを見かねて助けてくれたのが露先輩。
今まで乱波の勉強しかしてこなかった自分に、こんなにも世界は色鮮やかで輝かしいことを時間をかけて教えてくれた。
少しの時間しか咲かない花とか、綺麗な水にしか生息しない魚とか。思考が偏ってた僕には分からなかったことが見えてきて、段々と柔軟に動けるようになった。
戦い方も教えてくれた。おかげで不意打ちが得意になって、いじめてたヤツらに誰がやったのか分からないように仕返ししてやったよ。
直人は僕が今みたいになって、いじめ相手がいなくなった先輩に目をつけられて、まあ、僕と同じ感じにね。
外に出たら死ぬなんて前は良く言ってたけど、最近は言わなくなったし。露先輩は僕と直人の救世主なんだ」
「…俺も前に露先輩に助けて貰ったことがあります。優しい人なんですね」
「うん、優しくって強くって、おまけに芸達者で華やかだろう。大好きなんだ。高嶺の花って訳でもなくて、誰にでも好かれて。あの人みたいになれたら良いなって、何度も考える。
…あーあ、ずっと一緒に居たいけど、来年卒業しちゃうからそうも言ってられないなー…」
「なんだか、羨ましいです。俺はそんな風に思う相手がいませんから」
「わはっ!大丈夫!きっとこれから見つかるよ」
満開の笑顔でそう答える清兵衛に、風雅は胸が締め付けられる。
(でも俺は化け物なんです。どうしても傷つけてしまうなら、傷が深くならないうちに自分から逃げてしまった方がきっとまだマシだから…)
そんな中、花畑の脇にあった道からガサッと音が聞こえて、二人は上半身だけ起き上がり、音のした方へ振り向く。
そこには褐返色の短い髪の少年と、深緑の髪を丈長で結った少年がこちらを見ていた。
「あれ?久次郎と秋助じゃん」
「お知り合いですか?」
「うん、同学年。あ!遊びに来たのかな?おーい!」
清兵衛が手を振っているのに対し、その二人は耳打ちで話をした様子をした後、深緑の髪の少年が風雅を茜色の瞳で睨みつけた。
その目で見られていると、全てを見透かされている様な錯覚が風雅の全身を襲い、途端に身動きが取れなくなる。
もう一人の少年は風雅を見て今にも泣きそうな顔になっていた。だが隣の少年の様子を見て、それを咎めると、風雅達に向かって一礼をし、二人は林の奥へ消えていった。
「…どうしたんだろ?昔の僕じゃあるまいし、普段はあんな態度悪い連中じゃないんだけど…」
「どうした?何かあったのか?」
花冠を数個持って直人が二人の元へ帰ってきた。
「あ、直人。今久次郎と秋助が居たんだけど、すぐ逃げちゃってさ」
「…珍しいな。普段なら喜んで近づいてきそうなのに。何か嘘でも吐いた?」
「嘘…ですか?」
「あー、秋助がね。嘘嫌いなんだ。吐いてもすぐバレるから、誰も秋助の前じゃ嘘なんか吐かないんだけど。そう言えば目が茜色になってたな。普段は髪色と同じで深緑なんだけどさ。誰かが嘘吐くと、あいつの目は茜色になるんだ」
「嘘で瞳の色が変わるんですか?」
「そうなんだよ。面白いよねー。本人に言ったら大変なんだぞ、ってめちゃくちゃ怒られたけどさ!」
(いや俺は神様を既に見てるから、まだそんな事もあるかもしれないって思えるけど、普通に考えて何でもかんでもあっさり受け入れ過ぎじゃないか!?
嘘が分かるって、超能力や超常現象の域じゃないのか!?)
何も無かったかのように大口を開けて笑う清兵衛の姿に、風雅の額から冷や汗が流れる。
「…なら確実。だけど秋助は下らない嘘程度では怒らない。その場に居たのは清兵衛と風雅なんだから、どっちかがとんでもない嘘を吐いたんじゃないのか?」
「えー言い草が酷いなー!まあ二人とももう帰っちゃったんだし、この話やめやめ。
僕お腹すいちゃったし、露先輩の所に帰ろー!」
直人が作った花冠を三人とも被ると、清兵衛は両腕に菜の花を抱えながら一番先頭を歩く。
風雅は一番後ろを歩きながら、頭から離れない先刻の二人組のことに思考を巡らせる。
(嘘…か。本当は別の世界から来ました。とかかな。誰にも言ってないことが嘘になるのかは分からないけど。
それに、あの人の隣にいた青と緑のオッドアイの人。なんで俺を見てあんなに悲しそうな顔をしたんだろう?
それに、なんで初めて会ったのに、こんなにあの二人が気になるんだろう…?)
花の咲いていない桜の木の下で座り込み、伏し目がちに筆を持って詩を考えていた露が、三人の姿に気が付き、目を細めて微笑む。
「やあ、お帰り。楽しかったかい?」
「はい!これ約束の菜の花です!」
「自分からは花冠と、あと四つ葉も見つけましたので、どうぞ」
「ふふ、二人ともありがとう。風雅もほんの少しだけど表情が明るくなってるね。
いい息抜きになったなら何よりだ。さあ、お腹も空いただろう。学院に帰ろうか」
行きと同じように両脇を直人と清兵衛に囲われて、皆で帰路につく。
(…あれ?あんな所に赤い花なんか咲いていたっけ?)
露が座っていた付近に咲く茜色の花を、風雅は見つめる。
薄群青のオオイヌノフグリが咲き誇る中心に、ぽつりと一輪だけ咲いていた。
「風雅も早くおいで。置いていってしまうよ?」
「…あ、はい!今行きます!」
(…別に気にしなくてもいいか。赤い花なんて珍しくも無いし)
風雅達が花畑を立ち去った後、茜色の花は雫を垂らす。
その下に周囲と同じ薄群青のオオイヌノフグリがあった事など、誰も気がつくことが無い話である。
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