第一章 第十二幕―山篭りーその肆―
ガサリガサリと音を立てながら、少年達が森の中を駆けていく。
秋助が風向きを確認し、安堵の表情を浮かべると全員にその場で停止するように指示を促した。
「ふう、ここまで来れば痺れ薬も届かないみたいだ。ありがとなジルボルト。直人のこと抱えてってくれて」
「Year!なんのなんの!おやすい御用ですよ!」
「まさか清兵衛との接触で足を捻るとか、先輩として面目ない所を見せてしまった」
「まあまだ軽傷な方だってー。あの山伏の寅と戦ったんだよ?全力で時間稼ぎしたからもう皆体力尽きちゃってたし、例え無傷でもあそこから全速力で離脱するのは無理だったよ」
保彦の虫取り網に捕らえられた状態で清兵衛が、そう言って一息つく。
保彦が走ってきた道を振り返ると、作戦完了の合図であった凪斗の高笑いが聞こえた。
久次郎に片腕で抱えられている、脱力した状態の奏兵衛が誇らしげに笑う。
「上手いこと山伏の寅が痺れ薬にかかったみたいですわね。性格の悪い作戦でしたが結果は上々。大満足ですわ」
「だけどやっと全員平等な状態になっただけで、これからが本番だと思うと…とてもじゃないが気が重くなるな」
「平等?変なこと言いますのね。今の久次郎先輩ならあたしの布を奪えるでしょうに」
「あのなあ。ボロボロの後輩相手にそんなことできねえよ。もう腕も上がらないくせに、そんな減らず口は元気になってから言えよな」
「…そうですわね。あたしの全力では山伏の寅には傷一つ付けられなかった…。もっと強くなりますわ。弟達のためにも。武家の跡取り息子ですもの」
「でも今回の山篭りは辞退しろよ?学さんが来るまで話し相手くらいにはなってやるから」
その言葉に安心して奏兵衛は瞼を閉じる。奏兵衛の腕から布を解いて地面に落とすと、久次郎も木に寄りかかって座り込む。
直人を久次郎と同じように木に寄りかからせて、ジルボルトは訝しげに辺りを見回す。
「Hmm…?嘉一!千歳と紅ヱ門はどこ行ったです?姿がさっきから見えないですよ?」
「あ、千歳は林の奥から物音がするって言ってどっか行っちゃった。一緒に紅ヱ門君も行ったから大丈夫だと思うけど」
「oh、そうですか。まあ作戦も無事終わりましたですしね!ここからはほぼ個人戦みたいな物ですから!私は他の人を捕獲しに行きます!次会った時は皆さん敵同士ですよ!」
そう言って笑顔満開のジルボルトは林の中に消えていった。動ける人達はそれに続いて散り散りになって行く。
ふと、久次郎は一段と高い丘を見つめる。そこは痺れ薬を散布した者達が居る場所だった。久次郎の視界で複数個の黒い丸が大きくなった気がした。
一方、丘の上では露と壱陽と誠が聞き耳を立てており、無事に作戦が終了したことに胸をなでおろした。
「先輩方、お疲れ様でした」
「いやはや成功して何よりだね。誠も手伝ってくれて助かったよ。ありがとう」
「いえ、私は特筆すべき事は何も。それよりも、先輩方、やっぱり凄いです」
「ははは、おら達そだ凄いごどしてだべがな?」
「土の湿り気で、天候の変化を把握していました。数秒先の風向きまで、的確な指示を出していました。毒も、長期間散布しても気付かれないほど臭わないのに、効果は絶大でした。できるのは学院ではお二人だけかと、思います」
「ははは、そだもの普段の農業作業で身にづいだだげで大したごどでねぇべ。
露ぢゃん、そろそろ丘を下っぺが。他の皆さ遅れをどっちまうべ…露ぢゃん?」
目を輝かせながら力強く伝えてくる誠に、壱陽が照れくさそうに頭を掻きながら露のいる方向に振り返る。
そこには青ざめた顔になり、俯いた状態の露が立っていた。
壱陽が声をかけた頃には、彼はふらりと上体を揺らしていた。
「露ぢゃん!?」
目を見開く二人。咄嗟に反応できた壱陽が倒れかけた露を抱える。
「どうしたべ!?…血が出でるべ!」
「がはっ!…はっ、ああ、ずっと隠し通せていたのに。あと少しの所でしくじってしまった…ごふっ!」
咳き込む度に吐血する露を見かねて、意を決して壱陽は彼を背負った。
「誠!おらと露ぢゃんはこごで棄権する!おらはこのまま学院さ向がって走るから、おめは学先生を探して事情を説明してぐれ!」
「分かりました!」
「はっ…駄目だ。これは君にとって学院で作る最後の思い出だろう。私にとってはこんなこと日常茶飯事だったんだ。私は大丈夫だから、最後まで…やるんだ」
「馬鹿を言うんでねぇ!親友が今にも死にそうな時さ置いで行げるほどおらはまだ乱破になれでねぇ!
それに、そだ状態だったのを親友のおらにずっと隠してだ理由をその口がら言ってもらわねぇど、おらも安心して実家さ帰れねえだべが!死なせねえべ!絶対無事さ学院さ連れで帰っから!」
泣きっ面で鼻水をすすりながら二人分の腕の布を外す。壱陽は露を落とさないように気をつけながら全速力で学院へと駆け出した。段々と力が抜けて瞼が重くなり、露はその背中で意識を手放していく。
学院へと向かう道のりの最中、誰かと話をしている様子の千歳の姿を見た気がした。
静かになった林の中に一体の絡繰が静止していた。
二人乗りの機械に無理やり三人乗りをしている。疲れで眠ってしまった弘栄を膝に乗せながら風雅がじっ、と寝転ぶ凪斗を睨んだ。
「さて、凪斗先輩。絡繰の整備も終わったことですし、色々説明してもらってもいいですか?」
「あ?今回の作戦のことか?」
「隣で見ていましたからある程度は俺も理解できましたけど、それはそれとして説明は必要じゃないですか?」
風雅のその言葉に面倒くさそうに体を起こした。頭を掻きながら凪斗は口を開き、指を三本立てる。
「仕方ねえな…俺はまずあの場に集まった全員を三つの班に分けた。一華が率いる先陣組。ジルボルトが率いる離脱組。露が率いる要組だな」
「先陣組が寅さんや潔先生の注意を引き付けて、要組の存在を認知させないように陽動した。という事ですね」
「まあ、あの狸爺は最初の段階で分かってたみたいだけどな」
嫌味ったらしい顔をして鼻で笑った凪斗を、風雅が目を見開いて見つめる。
「本人が言ってただろ?策に乗ったってよ。つまり、あの時点で狸爺が山伏の寅に協力する意思はさらさらなかった訳だ。どっちが勝っても目的は達成してる訳だしな。
そしてこっちが明かした手札に露が居なかった時点で、あの狸爺は俺様達の切り札を当ててた。
あの時懐に仕舞ったのはお得意の幻術を使うための装置じゃなく、痺れ薬の効力を薄める香でも入ってたんだろう。だから外に居ながら一切薬が効いてる素振りが無かったって訳だ。
ずっと外で狸爺の相手をしてたはずの弘栄に薬が効いてないのもその証拠だな」
凪斗の言葉で風雅は膝の上にいる弘栄を見る。
困ったように眉をひそめてうなされている彼。凪斗に取り押さえられて言葉をかけられるまで、思考を狂気に囚われた悪鬼だったことなど、子犬のような印象の大男からはもう感じられなかった。
「どう足掻いても手のひらの上ってのが癪だが、目的は達成できた訳だ。結果は上々って所だろ。
で、狸爺がお香を仕舞った後は先陣組に順々に交戦を仕掛けさせ、痺れ薬が効くまでの時間を稼いでもらった。なんせ相手は山伏の寅だ。実力で勝てる奴なんてこの学院には一人も居ない」
「以前露先輩が使用していた強い痺れ薬を使わなかった理由は、他の皆さんが撤退できるようにですか?」
「ああ、それもある。強い薬は効果が長引くからな。作戦に参加したことで不条理を受けただなんだと後から責められてもかなわねえし。それに山伏の寅は既に一度その類の薬を食らってるからな。対策済みだと踏んで少々遠回りをしただけだ」
凪斗の話を聞きながら相槌を打っていた風雅が、思いついた様子で小さく声を漏らした。
「皆さんを撤退させたのも薬が回りきる前に逃げさせるためですか?」
「そうだ。多少残りはするだろうが完全に動けなくなる前に、離れた場所で待機させていた離脱組に抱えさせて撤退させた」
「そこで撤退の理由を凪斗先輩に見切りをつけて裏切ったと思わせた訳ですね」
「多少わざとらしかったがな。作戦をアンタに教えなかったのは、今回が初めて壱年もひっくるめての作戦で全員の演技に自信がなかったからだ。それなら山伏の寅が引っかかりそうなやつの言葉で納得させてやろうと思ってな」
「それが俺ですか?」
「ヒッヒッヒッ、アンタ嘘吐きの癖して嘘が下手だからな。自分の本心は嘘で隠せてもそれ以外の嘘となると本当に分かりやすいからな。役立たせてもらったぜ」
(はは。酷い言い草だな。嘘が下手…か。確かにな)
「で、無事に山伏の寅が戦闘不能状態になったことを全員に通知させて終わりだ」
「通知…ですか?」
「高笑いしたろ?」
「…あれまで作戦の内ですか」
凪斗の用意周到さに苦笑いを返して、風雅は満足気に息をついた。
後半からにやにやと笑いながら話していた凪斗が、風雅と弘栄を見つめて表情を引き締める。
「…なあ風雅。アンタ前に弘栄に先生になれるって言ったらしいな。今でも弘栄が先生になれると思うか?」
「え?急にどうしたんですか?」
「弘栄の戦い方を目の前で見たろ?弘栄はああなると敵味方関係無く攻撃し始める。目の前の相手を戦闘不能にするか、自分がこうやって戦闘不能になるまで止まらない。だから切り札なんだよ」
凪斗の言葉で先刻の弘栄の姿を思い出す。
悪鬼の様な形相で迫り来る、高所からの猛攻の数々を退けるのは至難の技だろう。という事を風雅はすぐに理解した。
そしてその猛攻の矛先が壱年に向かったら…言葉にできない惨状になることは明白で、風雅は思わず目を瞑る。
「凪斗先輩は弘栄先輩がいつか問題を起こすと考えているんですね」
「…あれでも以前よりも治まった方だけどな。去年の冬頃になんとか俺様の合図で暴走の始終は指定できるようになった。逆に言えば俺様の合図でしか弘栄は人を攻撃できなくなった」
「なら、どうして?」
(凪斗先輩が隣にいてあげれば解決するのに)
そんな風雅の言葉を遮るように、凪斗は風雅の唇に指を立てて静止した。
その後無理やり笑顔を繕って、凪斗は困った様に風雅の頭を撫でる。
「…なあ風雅、俺様にも俺様の人生があるんだよ。捨てられねえ物がどうしてもある。弘栄と一緒に卒業後もこの学院に残ることはできない」
「だから俺に見ろと言ったんですね。弘栄先輩の手綱を引く後釜を託すために」
「俺様は今の弘栄に先生になれるなんて無責任な事は言えねえ。弘栄が誰も傷付けない保証がないからな。だから手綱がどうしても必要だった。弘栄の夢を応援するために、風雅。俺様のためにお前が必要だ」
縋る様な目で彼は風雅を見つめる。だが風雅は少し考えた後、首を数度横に振った。
「…お言葉ですが。俺にはその役目は継げません」
「…やっぱ駄目か?」
「駄目、と言うよりはそれでは弘栄先輩があまりにも可哀想だと思います。やっと見つけた夢を追いかける事を、やる前から諦めろだなんて。しかも手綱を着けて管理するだなんて、そんなのは違うと思います」
「感情論でどうにかなる問題だって言いたいのか?」
「いいえ。ですので、俺は俺の信頼する大人達に頼もうと思います。要は先生として自立できるように指導してもらってから、実際に先生になればいい話だと思います。幸いにもここはいい先生が沢山いますから」
風雅の頭に学の顔が浮かぶ。世話焼きな彼なら大丈夫だろうと、風雅は深く頷いた。
「…それは、随分悠長な話だな」
「俺は信じてもいいと思いますよ。だって弘栄先輩頑張り屋さんじゃないですか。きっとできます。立派な先生になれるって、俺は信じています。俺が信じれるのに、弘栄先輩を一等理解してる凪斗先輩は信じてあげないんですか?」
「…ヒヒッ、分かったよ。俺様の負けだ。…当然、信じてやるさ。要に俺様にはその言葉を伝える覚悟が足りなかったって話だった訳だ」
そう凪斗が言った時、弘栄が寝返りを打ちながら目を覚ました。
ゆっくり起き上がりながら目を擦り、もう戦いが終わっていることに気がつくと、弘栄は安堵の溜息を零した。
「おはようございます。弘栄先輩」
「お、おはよう。風雅君。びっくりしたよね。で、でも、な、なんとか今回も皆を守れたみたいで僕、ほっとしてるよ」
「多少驚きましたけど、大丈夫ですよ。守ってくれてありがとうございました。それで凪斗先輩。言ってあげないんですか?」
風雅の言葉に弘栄が凪斗の顔を見る。声をかけられて、少し恥ずかしそうにしながら凪斗は口を開く。
「あー…弘栄。前に言われた時はぐらかしたと思うんだが…ちゃんと伝えねえとって思ってよ。その、なんだ。…アンタは先生になれる。俺様が信じてやるよ」
「…ほんとに?ぼ、僕あんなだよ?それでも信じてくれるの?ぼ、僕の夢、凪斗君も応援してくれるの」
「言ったろ?俺様は良いと思った事は直接言う主義なんだよ。なれる。アンタならなれるさ」
「…へへ、う、嬉しい。嬉しいなあ。今なら空だって飛べちゃいそうだ。なるよ。僕、立派な先生になる。が、頑張るから、僕は自分で自分が抑え込めるように努力する」
ぽろぽろ涙を流しながら弘栄は凪斗の手を掴んで、誓うように頭を項垂れる。
「頑張れよ。未来の先生。…さ、湿っぽいのはここまでだ。あと二日。まあ、今回の作戦で指揮を執った事で恩を着せた上、こんな機体に乗ってるやつを誰も攻めて来やしねえだろうが、弘栄。警戒しておくに越したことはねえからな。周囲の見回りと、布が回収できそうなら回収してきてくれ」
「うん。で、でも僕緑布だよ?僕が他の人の布を取っちゃっていいのかな?」
「緑布の奴が他の奴の布を取っては駄目っていうのは提示されてないからな。ぶんどれるだけ取ってこい」
「相変わらず考えることが悪どいですね」
舌を出して、当然だろ?と呟く凪斗に対してため息を吐いて、風雅は諦めた様子で寝転んだ。
何せ風雅も開始前の声がけや、山伏の寅と戦う者達の姿を目に焼き付けていたことで疲労が溜まっていた。
それに加えて信頼してる先輩に匿って貰っているという状況に、安心して風雅は瞼を伏せたのだった。
三日目の寅の刻。学の持つ笛の甲高い音が森の中に鳴り響く。山篭りが終わった合図である。
掻き集めた布の山を背に、凪斗は学院へと戻る道を絡繰に乗りながら歩く。その隣に座る、膨れっ面の風雅が口を開いた。
「納得がいきません。俺はこの絡繰が二人乗りなのは凪斗先輩の良心だと信じて疑わなかったのに」
「あのなあ。鬼役の隣で毎晩安心して寝息こいてるアンタの落ち度だろ。だいたい山篭りで人数がどんどん減っていくのなんか目に見えてんだ。探索に行くのにも時間がかかるんだし、そりゃあ最後の一人がすぐ終わるように確保しとくだろうが」
「…凪斗先輩が鬼役だから俺の生活費に直接支障がある訳じゃないので別に良いですけど、確実に俺からの信頼値は下がりましたからね」
「おう安心しとけ。俺様の願いは決まってんだ。そのために優勝が必要だっただけだからな」
「はいはい。どうせ絡繰の資金が欲しいとか資材が欲しいとか、そういうのですよね。もう分かってますよ。凪斗先輩が自分勝手な人なことくらい」
「拗ねんな拗ねんな。詫びっちゃ何だが俺様が新しい調理器具作ってやるからよ」
「…約束ですよ?」
簡単に買収された風雅に凪斗は頬を引き攣らせる。
「アンタも乱破にゃ向いてねえなあ…こりゃあ世話がやける後輩だぜ」
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