第一章 第十一幕―山篭りーその参―
山伏の寅の姿を捉えた凪斗と弘栄はその場で警戒体制を敷き、腰を落とす。
「よお、けったいなもんに乗っとる童。潔から聞いたで。儂の愛玩品匿っとるそうじゃのう」
「さあて、何の事だか。それよりも山伏の寅。俺様が目立ってるのは勿論だが…アンタ、周囲も警戒しとくべきなんじゃねえか?」
凪斗が拡声器に向かってそう言い放つと、アーム同士を叩き付け大きな金属音を打ち鳴らす。その瞬間、奏兵衛が木から直滑降しながら寅の真上を狙い、刀を振り上げながら落ちて来た。
それを錫杖を軸にして回転しながら身を躱し、その勢いのまま奏兵衛の顔を蹴り上げようとする。
しかし今まさに蹴りが入ろうとした脚を寸止めし、脚を引くと錫杖を前に出して回転させる。
屈んだ奏兵衛の後ろから、寅の顔を目掛けて飛んできた飛来物を跳ね飛ばした。
「カッカッカッ!随分果敢に攻め入るのう!この棒手裏剣は一華嬢ちゃんのじゃな!」
「あら?棒手裏剣ばっかりに目を奪われるのも駄目なんじゃないかしら!」
「だ阿呆!目を奪うんは儂の専売特許じゃ!覚えとけ!」
棒手裏剣が止んだ瞬間を狙って寅に飛び掛り、奏兵衛と寅は刀と錫杖で鍔迫り合いを始める。
一方。寅の視界から外れた凪斗は、右アームで頭一つ分程の岩を持ち上げると、一つの木に向かって投擲する。
その石は木に当たる寸前に何らかの衝撃が加えられ、二つに割れた状態で垂直に落下した。
「残念だけど幻術で手助けなんかさせねえぜ。潔先生。先生方が俺様達の十八番を分かっているのと同じように、俺様達も先生方の十八番が分かってんだよ。アンタの相手は俺様と弘栄だぜ!狸爺!」
「ふぉっふぉ。既に場所がバレていましたか。寅さんの相手をしてる最中に私がまとめて仕留める手筈でしたが…いやはや腕を上げたものです」
潔は目を細め、皺の深くなった顔で柔らかく笑う。そして木の枝の上で自身のふくよかな体を一撫ですると、片手に持っていたお香立てを懐に仕舞い直した。
「ですが私の得意分野は幻術だけではありません。さあ補習授業です!先生の胸を借りるつもりで全力で挑んで来なさい!」
「けっ!力抜いて勝てる相手な訳あるかよ!当然全力だ!弘栄、目の前のアイツは今から先生じゃなく、俺様達を殺す敵だ。ここを守れなきゃ全員死ぬ。そうだろう?」
「そんな突然頓珍漢な…弘栄先輩?」
「…殺す?凪斗君や風雅君達を?…だ、駄目だよ。それは駄目、殺させない殺させない殺させない殺させない殺させない殺させない殺させない守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る…ぼくがまもる」
脅えた表情で体や瞳を震わせていた弘栄がぶつぶつ呟いたと思うと、突然全ての動きを止める。
そして放たれる唐突の咆哮。獣のような叫びに、その場にいた全員が一瞬動きを止める。そして穏やかだった青年が上体をゆらりと揺らし、潔に飛び掛った。
「よく見ておけ風雅。あれが弘栄が唯一できる戦術であり、今の学院の切り札だ」
「あれが…?」
風雅の視界に映る弘栄の姿は、普段の巨体でありながら子犬のような顔で笑う、そんな気弱な人物ではなくなっていた。
そこに居たのは、けたたましい叫び声を上げながら獰猛な獣のように刀を振り回す悪鬼。そう評すのが最も的確であると理解し、風雅は唾を飲む。
「風雅!弘栄だけに目を奪われるんじゃねえぞ!見る場所は一箇所だけじゃねえ。誰が何が得意で何が苦手なのか、全体に目をやれ!死ぬ気で覚えろ!いいか、できる限りの情報を頭の中に叩き込むんだ。それがアンタの仕事だ!」
「はい!」
凪斗の言葉で風雅は奏兵衛に目をやる。暫く鍔迫り合いを続けてきた彼らだが、実力の差が明白に優劣を分けていた。奏兵衛の刀が段々とせり負けて行き、寅の錫杖が遂に刀を上から押さえつけ、その動きを停止させた。
「なんじゃあ。儂を倒す為の一手にしては随分と力技じゃのう。それに、この実力じゃお嬢ちゃんはまだまだ力不足じゃて!」
「ぐっ!分かってますわよ!あたしの実力がどのくらいかなんて!だから…より力技でねじ伏せさせて頂きますわ!」
意地悪く笑った奏兵衛が、自身の言葉で生まれた一瞬の隙を着いて錫杖を押し返す。たじろいだ寅の後ろにある木の両側から二人の姿が現れた。
「敵が四人だけって考えは山伏の寅の読みにしては随分杜撰すぎると思う」
「わはっ!奏兵衛ちゃんは危ないから一回撤退ー!」
「うおっ!双忍組か、厄介な!」
双忍組と呼ばれた直人と清兵衛が、寸鉄と万力鎖を手にして交互に攻撃を仕掛ける。奏兵衛がその場から撤退したことを確認すると、途端に攻撃に間隔が無くなり速さを増していった。中距離と近距離の攻撃が息をする間もなく寅へ打ち込まれる。
それを寅は錫杖で次々といなしていくが、その体には細かな傷が着々と刻まれていく。
「だあ!このままじゃ負けるかもしれん…訳ないわなあ!」
直人の近距離攻撃を跳ね返し、そのまま清兵衛の方向へ蹴り飛ばす。思わず攻撃の手を止めて、清兵衛は直人を受け止めた。
「ありゃ、やっぱ駄目かあ」
「けほ。面倒だけど深手を負う前に撤退するしかない」
「させるか!体力回復して再登場されたら面倒じゃ!お前さんらの相手は骨が折れるからのう!直人だけでもここで退場してもらうぞ!」
寅がそう言いながら二人まとめて横薙ぎに叩き潰そうと錫杖を構え、そのまま大きく勢いをつけて払った。
だが、その錫杖の軌道は既に茜色の瞳が捉えていた。深緑の髪を振りながら、秋助は苦無で錫杖を抑えている。その様子を見て目を見開いて後転し、秋助と間合いを取った寅の頬から冷汗が流れた。
苦無を懐に仕舞い直し、改めて鎖鎌を取り出すと秋助は腰を落とし戦闘態勢に入った。
「…更に厄介なんが来おったのお」
「残念だったね。僕がいる限り騙し討ちなんかできないよ。真っ向勝負とか嫌いなんじゃない?ざまあみろ」
満面の笑みでそう言い放つ秋助に、寅は青筋を立てながら錫杖を構え直す。
その様子を見ていた風雅の頭を不意に凪斗が掴む。
「…そろそろだな。秋助!全員で畳み掛けに入るぞ!風雅、しっかり掴まっておけよ」
「えっ、は、はい!」
凪斗の声で一華、奏兵衛、清兵衛、直人が一斉に寅の背後から現れ、各々が武器を構える。
寅の眼前では凪斗の絡繰が今にも突進して来ようと加速をかけていた。
「カッカッカッ!なんじゃあ、まだ儂に力技で勝てるとでも思っとるんか!?そんな物でこの山伏の寅が打ち取れるほど甘くはないわ!」
「知ってるよ。だからこんな茶番もう終わりでいいでしょ?なあ、皆」
「あん?」
秋助の言葉に、凪斗以外の人物が次々と手持ちの武器を自身の懐へと片していく。
「わはっ。やめやめ、だってあの絡繰があれば力技で勝てるだなんだ言われたけどさ。これ、絶対無理だって。なあ直人」
「まだ山伏の寅が実力の半分も出していない事は明白。面倒だけどこの作戦から手を引くのが最善だと判断する」
「上に同じですわね。という訳で撤退させて頂きますわ。刀の打ち合いは楽しかったですが勝ち目のない勝負は嫌いですから」
「だいたい最後に山伏の寅を討ち取る役を自分がやるために他の皆は引き立て役、だなんて作戦。私はもう着いて行けません」
矢継ぎ早に全員がそう言ってその場から逃げ去っていく。その様子に冷汗をかいた凪斗の姿を風雅は不安そうに見つめる。
「アンタら俺様を裏切るって訳か」
「じゃーね。嫌われ者の凪斗先輩」
秋助が振り返らずにそう言い放ちながら立ち去ると、凪斗は青筋を立てて絡繰の内部を力を込めて叩きつける。
「そんな…!今からでも俺が出て戦えば…いや、あまりにも実力差があり過ぎる。どうしたら…」
「…一瞬裏切り行為が丸ごと何かの作戦かと思ったが…ずっと隣に居った風雅ちゃんがそれを知らんはずが無いか。ふん。普段の行いが悪すぎたみたいじゃのう。同情はするが、獅子は兎を狩るのにも全力をつくもんじゃ。ここで叩き潰させてもらうぞ」
「凪斗先輩!寅さんが来ます!」
「…分かってらあ!」
錫杖を手に突進をして来た寅を絡繰のアームで受け止める。だが、その力量差は歴然で、何とかギリギリの所で押さえ込めているといった様子に、凪斗が舌打ちを放つ。
「ほらほらほら!そんなもんか!天才だなんだと言っとるが戦闘面では大したことないのう!」
「うるせえ!こちとら体格差の不利を頭で補完してんだよ!直接戦闘は得意じゃねえっての!」
「凪斗先輩!絡繰の左腕が!」
絡繰の左腕が叩き切られ使い物にならなくなる。これではもう勝負にならない。そう思って風雅が目を瞑った瞬間である。あくどい顔で口角を上げていた寅の動きが急にピタリと止まった。
「な、ん、じゃ…痺れ…」
寅が錫杖を落とし、その場に突っ伏す。その様子に凪斗は汗を拭う。
「はあ、やっと露の痺れ薬が効きやがった。耐性が上がってるかもしれねえって、後で言っておかねえと」
「痺れ薬…?」
「おい狸爺!勝負あったぜ!アンタもそろそろ薬が効いてくる頃だろ。なんせこの戦闘が始まる頃から風上で露と壱陽がこっちに向かって散布してたんだ。さっさと逃げないと、ここに転がってる変態野郎とアンタも同じになっちまうぜ」
「ふむ。霞扇の術ですか。ふぉっふぉ。ではお望み通り立ち去るとしますか。これの回収だけはさせてもらいますが、貴方達の成長を評してこちらを」
今まで受け止めるだけだった弘栄から放たれる角指での攻撃を跳ね返し、弘栄を突き飛ばす。
そしてその後寅の体を俵抱きにすると、自身の腕と寅の腕に着けていた赤布を外して地面に落とした。
「ちっ、やっぱりわざと手を抜いてた訳か」
「そもそも学院長から私が任命されていたのは、こちらの意図を見抜けなかった子達の緑布を回収するということだけです。意図を見抜いた貴方達がどんな作戦で私達を撃退する気なのか、それを確かめるためだけに少々策に乗ってみた訳ですが…楽しかったですよ」
「ちょ、ちょっと待って下さい!つまり、皆さんが凪斗先輩を裏切ったのって…」
「そういう作戦だ。下手に作戦を教えて山伏の寅に勘づかれたら厄介だったから教えなかっただけだ。ま、それのおかげでまんまと作戦に引っかかってくれたけどな!二度も露の痺れ薬に引っかかってやんの!ヒャーッハッハ!なっさけねー!ばーかばーか!」
(あ、悪魔だ…)
さっきまで年上らしく風雅を指導していた凪斗が寅を指差して高笑いをする姿。それに完全にドン引きしている風雅を他所に、凪斗は赤布を絡繰の右腕で回収する。
勝負に勝って試合に負けた気分の風雅の様子なんて目に入っていない、そんな凪斗の笑い声が森の中で響き渡るのだった。
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