第一章 第十六幕―それぞれの道―
露が息を引き取った翌日、簡素的な葬儀が執り行われた。安全をうたっている学院内に火葬場は無く、露がよく訪れていた菜の花畑での土葬に話が纏まった。
露の自室から棺が見つかったことで、この時代においては裕福な葬儀が行われていた。
風雅もその葬儀に付き添い、棺の近くで項垂れていた。
吐いた息が白くなる寒さの中、清兵衛と直人が棺を覗き込めば死化粧で彩られた露がいた。
二人は手を繋ぎながら口を一文字にして涙を堪える。しばらく露の顔を撫でて、清兵衛がへらりと無理やり笑顔を作った。
「…冬じゃ枕花も限られちゃうね。露先輩、寂しがっちゃうかな」
「ああ、確かに寂しがるかもしれない。あの人は何かと構いたがりだったから」
「もう一緒に海に行けないんだね」
「花冠をくれることも、頭を撫でられることも、自分達が間違いを冒しても叱ってくれない」
「うん、僕達よく怒られたね。僕は勉強してるといつもご飯食べるの忘れちゃってたから」
「自分は朝が弱かったから、あの人との待ち合わせによく遅刻してしまったな」
互いが繋いでいる掌に力が篭もる。下を向いたら涙が零れそうだと思った清兵衛が、上を向きながら呟く。
「…寂しいね」
「…ああ、だがどうしたらいいんだろうな。あれほど強かった英雄も簡単に死ぬと知ってしまった。あの人より弱い自分は、いったい死ぬ時どれだけ惨たらしい姿を晒すことになるのか、考えるだけで体が震える。
死ぬのが怖い…死にたくない…。自分の歩む道に、あれほど頼りにしていた草履の跡がどこにも見当たらないというのは何と心細いものか…。生きるも死ぬのも地獄のようだ」
空いていた手で直人は自身の胸元を握りしめる。繋いでいる直人の手が震えていて、清兵衛が袖で涙を拭りながら直人の顔を見つめた。
「それでも僕らは生きなきゃ、それが露先輩の願いだ。君がどれだけ絶望しても、僕が君を殺させない。僕らは露先輩のために幸せになる義務があるんだ」
「…なら、自分がどれだけ不甲斐なくても見捨ててくれるなよ?」
「そっちこそ、僕が間違ったら蹴っ飛ばしてでも止めて見せろよ?僕らは二人で一人前の双忍なんだから」
二人はそう言うと繋いでいた手を離して、拳同士を合わせながら笑いあった。
そして思い出したように清兵衛が懐から一冊の本を取りだした。
「露先輩、露先輩の遺言通り天の国に思い出を一つ残らず持っていけるように今日から日記を記そうと思うんです。名付けて幸せ日記です!わはっ、捻りがないとか笑わないで下さいね。
…閻魔帳みたいに、びっしり文字を連ねて。両腕で持ちきれないくらい抱えて行きますから、走って貴方に会いに行きますから…」
そこまで言って、清兵衛が無理に作っていた笑顔が遂にくしゃりと崩れた。頑張って取り繕っていた空元気は一度崩れてしまうと止めるすべが無く、その場で泣き崩れて地面に膝を着いた。
その二人の後ろで息を切らしながら走り寄って来た人物が一人。目の前の光景に血の気が引き、目を見開いていた。
「清兵衛、行くぞ。自分たちと同じくらい露先輩にさよならを言わなければならない人だ」
「…うん。お帰り、一華ちゃん」
つい先程帰還したばかりの一華が、二人と入れ替わりふらふらと露に近づく。
一華が露の悲報を聞いたのもつい先刻の事だった。一華の手から桜の匂い袋がぽとりと落ちた。
「…どうして?」
大きく見開いていた瞳から次々と涙が溢れ出した。棺の中で眠る露の頬にぽたぽたと雫が落ちる。
「最期を看取ることも許されないほど、貴方にとって私には価値が無いということですか?…どうして何も教えてくれなかったんですか…」
一華の後ろから智子が近づき、一輪の野花を露の元に添えた後、踵を返し風雅に話しかけた。
「壱陽先輩がやけに私達を引き止めるものだから、私だけ先に事情を聞いておいたの。あの人、最期に何て?」
「桜が好きだって言ってました。一華先輩が自分に似てると言ったからだと」
「…そう。本当、不器用な人。さっさと勇気を出して一緒になってしまったら良かったのよ。それで全て投げ出して二人末永く幸せになりましたみたいな、そんな結末にしてしまえば良かったんだわ。それなのに一人取り残されて…あれじゃ一華が惨めでしょうに」
顔を顰めて哀れみの目を一華に向けている智子に、風雅は壱陽の出立日でのやり取りを思い出して目を丸くした。
「…意外です。以前あれほど怪訝な顔をしてたので智子先輩は一華先輩が苦手なものだと思っていました」
「嫌いなわけないでしょう。同じ夢を持つ仲間だもの。それに、一華は私にとって理想そのものよ。乱波になりたいくせに物語の登場人物みたいに無垢で純粋で…私はそうなることを早々に諦めたの。ありもしない幻想を抱いていたせいで何かの拍子に心が砕かれるなら、先に自分で壊してしまった方がまだ利口でしょう?」
ずっと露に問いかけている一華の元に、獅子王丸が近寄ってきて声をかける。だが肩に手をかけた手は直ぐに払いのけられてしまい、獅子王丸は寂しげな顔で立ち竦む。
「…あれも馬鹿ね。今の一華に声をかけた所で何も届く訳ないじゃない」
「お二人は仲が良かったですからね。何かしていないと落ち着かないのは分かる気がします」
獅子王丸は一華に何か耳打ちをして、頷いた一華を確認するとその場を立ち去る。
その姿を見て、智子も女子寮に戻ることにしたようで風雅に背を向けて歩き出した。
「用も済んだし私はもう行くわ。…ああ、言いそびれていたけど私、貴方と同い年よ。
大方一華に敬語を使ってなかったことで勘違いしたんでしょうけど、女生徒同士は皆そうよ。歳関係なく全員引っ括めて仲間なの。
こっちは気持ちがいいから貴方はそのまま敬語でいてもいいわよ。じゃあね」
「へ!?」
馬鹿にしたように嘲笑う智子の背に向けて、風雅は停止を促そうと思わず手を伸ばすが、当然その手は空を切った。
あっけらかんとした様子の風雅に一目もくれずに、智子はその場から消え去っていく。
「…それならそうと早めに言って欲しかったな。これから先いじられそうだ」
六兵衛とは別の方向で自分勝手な少女に頭を痛ませながら、風雅は未だに棺に涙を落とし続けている一華を見た。
その初めて見る弱々しい姿に、居た堪れない気持ちになり、ついに声を掛けることにした。
「一華先輩」
「…ねえ、いつからだったの?私、露先輩が危篤だなんて、本当に今まで全然気が付かなくて…」
「…山篭りの時に持病が悪化したそうです」
「…そんなに前から?…どうりで。いつもだったらそういった行事の後は直人達を褒めているのに、あの時は姿が見えなかったからおかしいと思ったの。…馬鹿な私、そう思ったなら行動すべきだったのに本当に乱波失格ね」
一華は自分の腕に爪を立てて、力を込めた。
「一華先輩、そうご自身を責めないでください」
「無理よ。だって私が乱波として未熟だから、露先輩は最期に私を遠ざけたんだわ。私が表情も繕えない出来損ないだから…。露先輩は優しい人だもの、自分の死を目の前にして私が平常を取り繕えないことを分かっていたんだわ。本当、私ってばとことん不器用ね!」
そう言うと、一華は空を見上げて笑いだした。そしてその笑い声がどんどん小さくなっていき、また彼女は俯いた。
「そんな私は、不必要よ。そんな弱い私は殺してしまいましょう。それが本来正しいことなのよ」
「一華先輩!そんなこと…そんなこと露先輩は望んでないです」
「…気を使ってくれるの?ふふ、貴方も大概ね。…六兵衛が貴方を好きな自分を誇れる理由、今なら分かる気がするわ。でも、もういいの。私、これでも乱波だもの。これから先、好きな人以外に愛想を振り撒いて生きていく存在に感情なんて、邪魔以外の何物でもないわ」
そう言って一華はぴたりと泣くのを辞めた。そして不自然なほど綺麗な笑顔を取り繕って風雅を見た。
「この恋心を一生抱いて、私は今日から改めて乱波になる。だから心配しないで。他の子より早く乱波としての心構えができただけ」
その顔があまりにも苦しそうに見えて、風雅は口の端を噛んで一華の袖を掴んだ。
「…露先輩は桜が好きだって言ってました。一華先輩が似ていると言ったからだって。…露先輩は自分が一等綺麗な状態だけを、一華先輩の思い出の中に残したまま死にたかったんだと思うんです。一華先輩のことが好きだったから」
「…そうなの。嬉しい。…でももういいの。あの人のことが大好きで、感情が抑えられない普通の女の子はもう居ない。貴方にそんな顔をさせる駄目な先輩でごめんね。もう行くわ」
風雅の手を振り払って寂しげに立ち去る一華の姿に、自身の無力さを感じながら風雅は露の顔を見た。
「露先輩、愛されている人を看取るの結構辛いですね。他の皆が悲しそうで見てられないのに、俺には何も出来なくて…俺が死んだ時はどうだったんだろう」
そんなことを考えた風雅の頭にノイズが走る。
どこかの屋上、都会らしき灰色の街の中、風雅は空を見ていた。
視界の先で、手すりから身を乗り出している二人の高校生の男の子が風雅に手を伸ばしている。まだ記憶が不確かなのか、彼らの顔は黒いノイズで遮られており判別できない状態だった。
(誰だろう。前に見た映像には居なかった…よな?友達…?化け物に友達が居たのか?…いや、これってもしかして)
そして視界が強く揺れて、映像が途切れた。
「…他殺?…はは。露先輩とは全然違うな。嫌われ者の化け物だもんな。仕方ない、仕方ないよなあ…」
風雅がそう言って自信を嘲笑うと、風雅の背に向かって強く風が吹いた。春一番だった。
「もうすぐ春が来ますね。…桜を持って墓参りに来ます。先輩方も皆連れて。きっと賑やかですよ。はは、そっちにも聞こえるくらいの馬鹿騒ぎになりそうですね」
棺の中の露が笑った気がして、風雅はにこりと微笑んだ。春がすぐそこまで迫っていた。
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