第一章 第九幕―山篭りーその壱―

夏真っ只中の暑さで汗が滲む中、朝恒例の大きな起床の笛の音が長屋に響く。

食事処の運営や組合の活動。そして普段の勉強で疲れ果てた身体に鞭を打って、背筋を伸ばし軽快に音を鳴らす。そんな風雅のお腹に覆い被さるように寝ている六兵衛は、全身が擦り傷やら保健室での治療跡でぼろぼろになっている。

学に聞いても「黙って見守ってやれ」の一言で片付けられてしまっていたことを思い出して、風雅は少し寂しい気持ちになる。

六兵衛の頭を何度か撫でてから起き上がると、風雅は身支度を始める。そして自分の身支度を終えた後、六兵衛を起こさないように普段着に着替えさせる。


「…よしっ、と。ふう、疲れてるのに起こすのも悪いけど、遅刻して怒られちゃうのも可哀想だしね。ほら、起きて六兵衛。遅刻しちゃうよ」

「んむ…ん?…風雅?えへへ、おはよう」

「うん。おはよう六兵衛。歯磨きして、顔を洗ったらもう出るよ」


風雅がそう言って部屋の玄関扉を開ける。


「よう、おはようさん」


いつからそこに立っていたのか。小五郎がキセルを吹かしながら風雅達の前に現れた。想像していなかった突然の学院長の登場に、風雅は思考を停止する。


「…は?…え?」

「なんだ。聞いてなかったのか?それとも今日の笛当番の声が小さかったのか?まあいい。行くぞ」

「え?あの、え!?ちょ、ちょっと!?」


小五郎が風雅を俵抱きにしてどこかへと連れ去る。一方、まだ眠気が覚めない六兵衛が目の前の誘拐事件に気づいたのは、嵐が去った後の話である。



「で?一体全体俺に何の用なんですか?」

「ん?何を怒っているんだ?」

「はあ…そりゃあ怒りますよ。何の説明も無しに修練場まで連れてこられて…。これ、その内皆の前に立たされますよね?」


どんどん生徒達や先生達が集まってきて賑やかになってくる修練場。その中には生徒達から綺麗に半径120cm程の距離を保たれた中心に、あの山伏の寅の姿も伺える。

風雅の隣には箱を抱えたまま、心配した様子で風雅を見つめる一華と、小五郎の顔をじとっと睨んでいる獅子王の姿もあった。


「父さん。いい加減面白がっていないで教えてあげたらいいでしょう」

「教えんでも直に分かることだ。別にいいだろう」

「…まったく。すまない、風雅。口止めをされているから何も言えないが、決して悪事に関わらせようという訳ではないんだ。しばらく我慢してくれ」

「はあ…分かりました。…あと学院長。生徒達全員集まったみたいですよ?」

「うむ。では行くぞ風雅」

「え!?」


直ぐに出番があると思っていなかった風雅の腕を引いて、小五郎は壇上に上がると自身の隣に立たせる。

小五郎が壇上に上がった事によって、ざわついていた修練場が静かになる。だが、その隣に立つ風雅の姿を見て、見知った顔の人達が大変驚いている表情になっていることに風雅は頭を抱える。


「あー、おはよう諸君。朝方に笛当番から伝達されていると思うが、今日から三日間、授業の一環で山篭りを行うことになった。番号が対となる相手と二人一組となり、最後の一組になるまでこちらが定めた鬼から逃げてもらう」


小五郎がそう言うと一華や他の女子達が、並んでいる生徒の一人一人に箱の中のくじを引くように促す。

その様子を眺めていた風雅の腕を掴むと、小五郎はその腕を高々と掲げる。


「三日目の卯の刻まで生き残り、最後の一組になった者達には景品として、風雅が経営している食事処の割引券を三ヶ月分贈呈する」


生徒達はその言葉に一気にざわつき始め、どう最後まで生き残ろうか、と計画を立てていく。

そんな生徒達の楽しげな様子とは裏腹に、風雅は自身の生計の危機に冷や汗をかく。


(な、何もかも聞いてないし、そのために呼んだのか!!こんなの職権乱用じゃないか!)

「三日目の卯の刻以降に何組もの生徒がまだ残っていた場合、景品は無しとなる。三日目の卯の刻より前に全員捕まってしまった場合、鬼役の中で一等生徒を捕まえた者の願いを一つ叶えることとする」

「が、学院長。…まさか寅さんが居るのって…」


小声で小五郎に告げる風雅に対し、小五郎の口角が上がり、悪い顔でニヤリと笑う。


「今から鬼の名を呼ぶ!山伏の寅!壱年壱組の弐陽!壱年弐組のジルボルト!弐年壱組の龍宮獅子王!弐年弐組の久次郎!参年壱組の保彦!参年弐組の凪斗!肆年………そして教師からは潔!合計拾人!」


名前を呼ばれた人達は事前に聞かされていたのだろう。何も言わずとも全員が壇上の脇に並び直した。その中でも凪斗に関しては異質で、内部に入る形のからくりに搭乗している。

身に覚えのある機械の姿に風雅は頬を引き攣らす。


(負けん気の強い人だから、事前に情報が漏れないようにするのも含めて教えてくれなかったんだろうけど。それじゃあ威圧感が強すぎて、凪斗先輩のことよく知らない人達にまた嫌われ始めちゃいますよ…。

あと、よく見ると俺の知らない人も何人かいるな。あの同学年のジルボルトって子、白人さんだ)


くじを配り終えて壇上裏に帰ってきた一華が、今度は鬼役に赤布を配る。他の女生徒は緑の布を配りに走った。

弐陽の次に赤布を受けとった鳥の子色の髪と、花緑青の目をした体格が良い少年の姿を、風雅はじっと見つめた。

彼は隣で準備運動をしている弐陽の肩を一度叩き、顔を寄せて話をしだした。


「Hey!同学年同士頑張ろーね弐陽くん!」

「はあ?話を聞いていなかったのか凡愚。私達は共戦状態ではなく、一等を狙う敵同士になるということだぞ。分かったらその軽口を閉じろ。煩わしい」

「oh…ま、それもそうかもね。じゃあ負けないように私も頑張るよ!これでも脚の速さには自信があるのです!」

「ちっ…勝手にすればいいだろ。だが、壱陽という男は私の獲物だ。手出しをしたら貴様が鬼であっても容赦はしないからな」


冷酷な目で睨みつける弐陽に、分かりやすくしょぼくれてオーバーリアクションをジルボルトはとる。


「oh…兄弟喧嘩良くないです。兄弟喧嘩は馬を食べるって言いますよ?」

「夫婦喧嘩は犬も食わない、だ!間違えすぎだろ!それに意味も誤用しているんだよ。この凡愚!」

(はは。仲悪いなぁ、あの二人。まあ鬼が喧嘩してくれている方が生徒が生き残る率が高くなるから全然いいけど)

「今配られた布を奪われた人物は敗退となり、学院に戻って来てもらう。緑の布が逃げる側、赤布が鬼役だ。では四半刻後に逃げる側は先行して山に隠れてもらう。その四半刻後に鬼を山に放つ。

様々な要因で逃走が不可能だと判断した生徒は、布を地面に落とした状態で待機するように。学が山を巡って回収に向かう。では各人、相方を見つけて作戦を立てるように」


小五郎はそう言うと風雅に緑の布を渡した後、くじを配っていた箱を風雅に渡すと、どこかへと去って行った。

箱の底には一枚の紙がまだ残っており、そこには”参拾”と番号が書かれていた。


「風雅!何番!?」

「六兵衛。俺は参拾だったよ」

「うう…こういう時に風雅と同じ番号が引けないの、本当に悔しい…」


勢い良く近づいてきたことが嘘のように、地面に突っ伏し落ち込んでいる六兵衛の肩に、風雅は手をやって慰める。

その後ろから、一人の男性が風雅達に近づいて声をかけた。


「参拾…?貴様、今参拾と言ったか?」

「え、はい。えっと…貴方は」

「弐年壱組、勇次郎だ。俺も参拾を引いた。つまり俺達はこの遊戯中は相方になる訳だが…」


梅染の髪を短く結った青年の、額の皺がみるみると深くなっていく。

そして弁柄色の瞳を見開いて、大きく口を開きながら風雅の頭を押さえつけた。


「嫌でも認識せざるを得ないほど学院内を走り回ってその名を轟かせておいて、貴様自身はまだ全ての先輩の名と所属を覚えとらんのか!!たるんどる!たるみきっとる!」

「は、はい!?」

「それにあの奇っ怪な絡繰は貴様の組合の者が中に入っているんだそうだな!身近である貴様が行動を起こさせる前に止めんでどうするんだ!あれで怪我人が出たらどう責任を取るつもりだ!」

「あの…それは凪斗先輩が勝手に話を進めていたというか、何に使う物なのかも言われてなかったというか…」

「誰が口を挟んで良いと言った!しかも出た言葉が言い訳か!たるんどる!まずは反省、自戒してから言葉を発しろ!教育が足りとらんのか?」

(り、理不尽だ!そしてこの人も典型的な話を聞かないタイプの人だ!でも、この人どこかで会った気が…学院内じゃなくてもっと他に…)


頭を押さえ付けている手が段々と力を増していく。その痛みと比例して、靄がかかっていた既視感の正体が明らかになっていった。


(…あ)


そしてその事実に風雅が気がついた瞬間、風雅の顔から血の気が引き、見下ろす勇次郎の顔から目が離せなくなった。


(この人、兄さんに似てるんだ)


雨の降る葬儀場で風雅の首を絞めた人物。前世の兄と彼は顔つきが似ていた。強いて違う部分を挙げるとすれば髪色と眼鏡の有無程度である。

自然と風雅の額からは冷や汗が流れ、歯の根が合わず、四肢が硬直する。


(今俺が覚えてる中で俺を殺そうとした人はこの人だけ…俺が平成で死んだのって…この人が殺したから?もし、仮にそうだとしたら…また、死ぬ?

俺なんかいつ死んだっていい、この世界の人達に殺されるなら本望だ。でも…やっと、やりたいことが見つかったのに、誰も幸せにできずに、ただ無意味に死ぬのか?)

「だいたい…ん?おいどうした。急にそんなに震えて。この真夏に風邪でも引いたのか?」

「風雅…!?どうしたの?お腹痛い?寒い?大丈夫?ね、僕にできることない?」


ずっと勇次郎を睨みつけていた六兵衛は、風雅の異変に気がつくとすぐに駆け寄って声をかける。

今まで見た事のない風雅の畏縮した様子に、慌てて顔を平手で軽く叩いて正気を確かめる。

六兵衛の顔が認識できる程度に気持ちが落ち着いてくると、風雅はそのまま六兵衛の腕を掴む。


「ご、ごめん…六兵衛、ちょっと待ってれば良くなると思うから…」

「待つ!待つよ!しっかりして!」

「おい、何が必要だ?水はいるか?」


勇次郎が近づくと、風雅の体はまた恐怖で震える。その様子に気がついた六兵衛が、鋭い眼光で勇次郎を睨みつけた。


「君のせいなの…?先輩に敬意を欠いたら風雅に迷惑かかるからって…いろいろ我慢してたのに、許さない」


手にしていた鍬を握り締めて、六兵衛は立ち上がると思いっきり振りかぶった。

殺意高まる六兵衛が今まさに戦いを挑もうとした、その瞬間。


「はいはい、そこまで。流石に病人…って訳でもないけど、そんな状態の奴の隣で喧嘩すんなよな」

「秋助」


以前菜の花畑で出会った深緑の瞳の少年が、勇次郎と六兵衛の間に割って入った。

そして虚をつかれた勇次郎の手からくじ引きの紙を奪うと、自分の紙を握らせた。


「交換。悪いけど、たるんどるとか言うなよ?学院長が明言してない以上、これは規則違反でも何でもないから。それにお前このままじゃこの遊戯でなんも得しないし、それに早く行かないとまた攻撃されるよ?」

「…悪い、世話になる。風雅、突然怒鳴り散らしてすまなかった。大事にな」

「あ!待て!風雅いじめたくせに逃げるな!」


逃げ去る勇次郎の背を追い、六兵衛もその場から居なくなった。

風雅を見下ろす秋助は、風雅に腕を伸ばして肩を掴むとそのまま彼を立たせた。


「もう大丈夫でしょ。てか、お前にも怖い物あったんだ。死ぬのも何も怖くないとか思っといて、実際死に際想像したら怖くなったんだろ?意外と人間らしい所あるじゃんか」


意地の悪そうな顔で微笑んでそう言うと、秋助は風雅の顔を手のひらで包んで弄り出す。

ふざけているという訳ではなく、何かを確かめているような動きに、風雅はきょとんとした顔でそれを眺めていた。


「秋助先輩。…えっと、助けてくれたんですか?」

「それ以外の何に見えんの?ほら、着いてこいよ。嘘吐きは嫌いだけど、お前の本心は分かったし、守ってやるよ。一応僕は先輩だからな」

「…はい。よろしくお願いします」



そのまま秋助に腕を引かれて、二人は作戦会議をするために木の上へと登る。

その時風雅がちらりと秋助の目を見ると、以前見た時と同じ茜色に戻っていた。


「よっと。あ、悪いけどお前後ろに座っててくれる?」

「えっと、分かりました。でも、一応理由を伺ってもいいですか?さっきの俺の本心が分かったとかもちょっと良く分からなくて」


秋助の後ろに座って風雅がそう言葉をかけると、難しそうな顔をして秋助が口を開いた。


「僕は嘘吐きが分かる。で、その嘘吐きが今現在何を思ってるのか分かる。これだけ聞くと便利だと思うだろ?

でも嘘吐きが視界にいると目に映るものが全て真っ赤に染まるんだよ。その世界だと嘘吐きは髑髏になるんだ。そしてその髑髏が本当のことを喋るんだ。

そんな状態だと目が疲れるし、何より赤すぎて遠くまでよく見えないんだよ。

あと、お前、不気味だったんだよ。お前を見ると世界は真っ赤で、お前はずっと髑髏のままなのに全然喋んないし。

だから僕はお前が心底悪い奴で、作戦がばれない様に自分を偽ってる偽善者だと思ってた訳だ。

でも、お前は全然悪いことしないし、飯は美味いし。そしたら今回のあれだろ?僕はそれで思ったんだ。お前さ、怖がりなだけだろ?」

「怖がり…ですか?」


初めて言われた言葉に風雅は首を傾げる。


「さっき僕はお前の本心が見えなかった。つまり、あの時だけはお前は自分を偽れなかった。

お前の髑髏は口を開けば、やれ死ぬのは怖くないだの、殺されるなら本望だの。仲良くなり過ぎたら化け物だとばれるとか訳わかんないこと言ってたくせに、あの時のお前は本気で怖がってたんだ。

常に化け物だと思い込むことで、本当は生きていたい自分を嘘で塗り固めたから、お前はずっと髑髏のままだったんだって分かった。

生きるのが怖いなんて、そんな思考は立派に人間だろう?

自分を守るために吐いてる嘘を咎めて憎むだなんて、そんなの可哀想じゃないか」


目を細めながら歯を見せて笑う秋助に、風雅は思わず目を伏せる。


「でも…俺が化け物なのは事実です」

「お前が化け物かどうかなんて、そんなの僕が決めることだろう?お前と関わって僕に実害があるなら化け物だって認めてやってもいいけど、そうじゃないなら僕はお前を人間だと思うことにするよ。見た目は髑髏だけど、さっき見えた顔、全然普通に人間だったし!」

「…実害があってからじゃ遅いと思いますが」

「うるさいな、別に良いじゃんか。僕から見たらお前は人間!以上!ほら、作戦会議始めるぞ。時間足らなくなったらお前のせいだからな」


そう言って肩を叩かれて、風雅は静かに微笑む。

風雅の髑髏が小さく呟いた。ありがとうございます。の言葉には気が付かない振りをして、二人は作戦を立て始めた。


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