青虫菜虫、鍋入菜虫
鍋入菜虫。菜虫は青虫の別名。そんな未熟者の名前を付けられたのが俺だ。
俺は鍋入家の三兄弟の真面目な末っ子。それに反するように、上の姉兄は二人して根っからの自由人である。
「けー君!菜虫ちゃーん!見て見て〜大っきいミミズ捕まえて来ちゃったぁ!」
「…それは、良い釣り餌になるな。…一寸出てくる」
「捕まえんな!使おうとすんな!菜虫ちゃん言うなー!!」
この光景が日常茶飯事だ。そしてこの二人の天真爛漫で無茶苦茶な行動を止められる人間は俺しか居ない。なぜなら父さんとイツ花は知らぬ存ぜぬって顔でこの光景を笑って見てるだけから!
悠々と釣りの用意を始めてる啓戸は、せめてミミズを俺の顔に近づけようとしてる姉さんの手くらいは止めてくれ!
俺は姉さんの手からミミズを奪うと腕を振り上げ、遠くに投げ飛ばした。
「あー!せっかく捕まえたのにー。菜虫ちゃんひどーい」
「だから菜虫ちゃん言うな!人の顔にミミズ近づけてくる奴の方が何万倍も酷いわ!」
「…む、活きのいい餌だと思ったんだが…」
「論点はそこじゃねぇんだっての!だぁもう!疲れる!何でこうも俺の姉兄達は揃いも揃って自分勝手なんだ!」
「「姉兄だから」」
「うるせぇばーか!!しまいにゃ泣くぞ!」
何が悪いのか分かりませんとでも言いたげな顔をする二人。行き場のない怒りは俺の涙を誘った。こんな馬鹿な事してないでさっさと特訓してたい。一つでも多く呪文覚えたい。
でも俺が特訓してる時に限って姉さんはちょっかいをかけてくるんだ。泣けてくる。
「ははは、今日も子ども達は元気だなあ」
「そうですねぇ当主様。あ、そうだ。良かったらイツ花がお茶でもおつぎしましょうか?」
「それは有難い。頼むよイツ花」
「はーい!お茶請けにお団子、用意しておきますねー」
パタパタと台所に駆けていくイツ花。いや待て、人を見世物にして茶を啜るなよ!
「…ったく、どいつもこいつも…特に姉さん!お前もうすぐ交神予定だろうが!子どもができる訳だし、長女としてそろそろ責任感ってもん持ってだなぁ!」
「きゃあ、菜虫ちゃんのお説教が始まっちゃったぁ。けー君、逃げよー!」
「…了解した」
「了解すんな!逃げんなー!!」
啓戸の背中に飛び乗って、姉さん達は脱兎のごとくその場から逃げ出した。俺は二人の背中を見ながら、肩で息をして呼吸を整える。追いつきようがないことは明白だ。
俺は縁側に座っている父さんの隣に座った。
「…見てるだけってどうかと思うぞ、父さん」
「は、は、は、すまない。お前達があまりにも楽しそうだからね。間に割って入るのは野暮だろうと思ったんだ」
「ちぇっ、物は言いようだよな。…ま、いいけど」
俺の後ろでイツ花の声がする。振り返ると二人分のお茶と団子を置いていってくれたらしい。…俺だけこの場に残るってよく分かったな。
「菜虫」
突然父さんに声をかけられて顔を向ける。すると父さんの手が伸びて、俺の額に触れた。
「苦労ばかりかけてすまない」
…多分その言葉には色んな意味が含まれているんだろう。呪いのことも姉兄のことも、全部含めて。そういった表情を父さんはしていた。
「…いいよ父さん。俺、減らず口だけどさ、実は結構人生楽しんでんだ。
そりゃあ、鬼と戦うよりは町で飯食べたりしてる時の方が好きだけどさ。家族皆で強くなって、一個の目標に向かって突っ走る人生だって悪くは無いよ」
あの人達は毎日何かしらやらかすけど、その相手をするのだって別に嫌いじゃない。俺が目を閉じると、それを合図に父さんは俺の頭を撫でる。
「姉さんって普段は馬鹿みたいな事やらかすし、すぐ俺の事いじりに来るけどさ。別に悪いやつって訳じゃないんだ。
この間町に出た時だって、俺ら、呪われた一族だって言われてさ。思わず手が出そうになった俺を止めて、家に帰るまで手を繋いでくれてたんだ。
あいつ自分の方が泣きそうな顔してんのに、帰ってきてからもずっと俺の心配ばっかしてんだぜ」
俺を子ども扱いしてちゃん付けで呼ぶけど、弟思いの優しい人ではあるんだ。それを分かってるから嫌いになりきれない。
「ふふ、その割には桃に当たりが強いんじゃないか?」
「それはあいつがいつまでも俺をちゃん付けで呼ぶのが悪い!俺だって男なんだから、啓戸と一緒で菜虫君とかでいいと思うんだけど」
「桃は感覚で生きている子だからなぁ、いつも反応を返してくれるお前が可愛くて仕方がないんだろう」
「知ってる。二人ともそうだよ。啓戸も俺の背中にひっつき虫くっ付けて放置したりするし」
悪戯をしたなら、せめて一言喋ってから居なくなれって話だ。自己満足だけして居なくなりやがって。
「は、は、は、それは啓戸らしいな」
「…普段は何考えてんのか分かんないし、無口だけど、そんな悪いとこばっかじゃない。
だって啓戸は家で一等物知りで器用だし。やりたいと思ったことをすぐさま行動に移せるのは正直羨ましいと思ってる」
俺の言葉に父さんが微笑む。
優しいんだ、俺の家族。自分よりも家族、なんて思ってるやつらなんだ。
そんなんだから俺、家族の皆が大好きなんだ。呪いなんかつい忘れちゃうくらい、忙しなくて、おかしくて。
「だから大丈夫だよ、父さん。俺はこの家の家族になれて良かった」
「そうか、そうか…」
そりゃあ、もう末っ子でいたくないとか。まだ家族と一緒に居たいとか、生い立ちに不満を挙げればキリがないけど。
それ以上に俺はこの家族を自慢に思っているんだ。俺は皆に守られて、愛されていると自覚している青虫、つまり菜虫なのだ。
いつの日か、俺は人生という名の綺麗な羽を広げて大空に飛び立つ。俺はその日が来るまで、鍋入一族の三兄弟、末っ子の”菜虫”を自慢に思うんだ。
啓戸の背中から降りてから、二人で海に釣りをしに来ていた桃が口を開く。
「…ねぇ、けー君。菜虫ちゃん素直にパパに甘えられたかな?桃達の演技バレバレで菜虫ちゃん冷めてないかな?」
「…心配しなくても大丈夫だろう」
「ほんとにほんと?だって菜虫ちゃん鋭い所あるのよ?それに辛くても言いたいことギュッて我慢する所あるでしょ?…桃がパパの事取っちゃうことが多いから、末っ子なのに甘えベタになっちゃったの、ちょっとは私も反省してるのよ?」
「まあ、桃の醜態を見ていたら甘えるのが嫌になるのも分かるが…」
「あー!ひどーい!いいもん、別に醜態でもー。…だって何時までパパに甘えられるか分かんないんだもん」
寂しげな彼女の表情を隠すように潮風が吹く。啓戸は桃の顔をじっと見つめた。
「でも、パパと一緒の時期が長かったのは桃が一等だから。今日からパパと一緒で幸せの権利は菜虫ちゃんの番なの。菜虫ちゃんが一等で、けー君が二等、桃が三等。だって桃はさすが!なお姉ちゃんなので!それに、もうすぐお母さんなので!」
ふんぞり返って自慢げに胸を張る桃、その頭に啓戸の大きく無骨な手が乗る。
「…無理はするなよ」
「うん。絶対大丈夫!だって桃の無茶を分かってくれる頼れる弟君が二人もいるもん。えへへ、桃は世界で一等幸せな家族のお姉ちゃんだもーん」
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